いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日、いつもお世話になっている企業さまから
声のお仕事をするご縁をいただき、
寛子とふたりでスタジオにて声の収録を行いました。
詳細はこれから告知いたしますが、
寛子も潤治もワクワクな体験となりました。
高校生の頃、文化祭で作成した自主映画を自分で鑑賞した際、
出演している自分の容姿、自分の声に驚愕しました…。
なんていやらしい声なんだと。
この人はニヤリと何かもくろんでいますと。
それ以来、声に関してコンプレックスを持っていましたが、
どうやらそれは自分が創り出した幻想「怖い世界」なのだと感じることが多くなり、
少しずつですがコンプレックスが逆に強みかもしれないと思えるようになっていきました。
カウンセリングやコーチングで、「ありのままの自分」というものは、
よく出てくる言葉です。言葉ばかりの励ましだったり、慰めにならないように
その状態になるステップや考え方を共有するのが大切だと思っています。
他の誰かを真似て、自分以外になるくらいなら、
一番素敵な自分でいよう。
…と「ありのままの自分」という言葉を使う時は思っています。
それは真理であると感じますし、
そうあることが人生をシンプルにするとも思います。
しかし、それで「はい、そうですね!」と
終わらないのが人間の素敵なところです。
人生の機微や素晴らしさを感じます。
心模様は不思議で、同時にそのポジティブなチカラと同じくらい、
ネガティブなチカラを感じることがあります。
正直でいようとすると、ちょっぴり嘘をつきたい心。
その人をとても好きになる気持ちと、妬む心。
その人に憧れる気持ちと、足を引っ張りたくなる心。
尊敬する気持ちと批判・批評したくなる裁き心。
意気揚揚と踏み出す高揚感と、引きこもりたくなる臆病な気持ち。
そのどちらも自分であると思えると良いですね。
ありのままの自分でいようと
心で決意しているはずなのに、
「等身大の自分」ではいられない、いたくないと
思っている自分に気づきます。
ありのままの自分
等身大の自分
この心の中の綱引きが知らない間に起こっているのです。
「今のわたしは、等身大のわたしです。」と
言ってみて、何か心がざわついたら、AQUA MIXT に行かれるか、
このブログを読み続けることをおすすめします。
ありのままの自分という言葉で、
心ほろ酔い状態になって、自分の心を誤魔化さず、
それは等身大の自分を受け容れる心構えをすることでもあり、
肥大化したプライドや認められたい気持ち、
必要以上に自分を大きく見せようとする気持ちと
向き合うことでもあります。
自分の価値を自分が信頼するということでしょうか。
おかげさまで収録は、編集や修正を手掛ける方々の判断のもと、
ある程度の「お化粧」をしていただきました。
まさに商品ですね…。
すっぴんを皆さんに見せることはないようですが、
僕自身の中で、高校生の時の衝撃が和らいでいるということは、
少しは成長し、「等身大の自分」を受け容れることができていたのかもしれません。
そして、
いやらしい、もくろみ声と揶揄された思い出が
セピア色に変わっていたことに気づきました。
振り返ったら、意外に成長していたと気づくことは多いですね。
振り返るきっかけは日常に潜んでいると感じます。
その時に振り返って、懐かしみ、
その経験が人生にどうして必要だったのかと
意味を感じる時間は作りたいです。
穏やかな時間を。