いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
中学生の頃、とても好きな人がいました。
その彼女の一挙一動が気になり、話しかけては楽しそうに笑ってくれるとその1日は天にも昇る気持ちだし、反対に話しかけても無反応だとつまらないことを言ったかな?不快にさせてしまっただろうか?とその1日は気が気じゃないし、凹む時も多々ありました。
まさか、そういう気持ちに40歳を超えて、まだ人生駆け出しの女子に思うことになろうとは、当時、スポーツ刈りの中学生だった僕には予想だに出来なかったのでした(当たり前)。
娘、このは(小葉)を抱っこした時に笑ってくれればその時は天にも昇る気持ちになるし、
ほっぺにチュッとして、顔をしかめれば、ショックで腰が砕けます。
先日、そんな彼女を連れて寛子と3人で
お世話になった「府中の森 土屋産婦人科」に行きました。
※助産師との双方向のコミュニケーションが理念のひとつ。
1ヶ月検診で来られるママたちで産院の中は賑わっていて、
不安や安堵、迷いや覚悟…、いろいろなママさんの感情が入り交じり、
その感情を拾うのか、新生児たちも落ち着きませんでした。
あるママさんが待合室で通りすがりの助産師の方と話をしていました。
その目はとても不安そう…(僕えらそう ラップ調で)。
母乳で足りない時に、ミルクを20㎖足しても良いだろうか?
それでも足りないようなので、40㎖でも良いだろうか?
という内容でした。
母乳で育てたいと思っているママさんのひとつの悩みは、
小さなようで大きな問題なのだろうと
男性の僕でも考えることはできます。
初産だと母乳の出が悪かったり、
出るようになるまで時間がかかったりするようです。
母乳って出産すれば出るものじゃないの?
という安易な(一部男性)視点の僕でしたから、
寛子の背負うプレシャーや罪悪感に気づくのに時間がかかりました。
完全に母乳で育てようと思ったら、その出る量にも寄りますが、
1日中、赤ちゃんにつきっきりになるのではないかという回数だったりします。
おっぱいを飲み終えた赤ちゃんが、数分もしない内に愚図るのを見たら、
ママさんは絶望感や罪悪感に苛まれるのかもしれないと思いました。
完全に母乳で育てようと、頑張るなら…
授乳を終えて、次の授乳まで空き時間なんて
ほんの数時間(1時間もあれば良い方?)。
育児休暇という言葉に苦笑いです…。
しかも、母乳が出ないことで自分を責めることだってできます。
何がいけないのだろう?何が足りないんだろう?と…。
食べ物がいけないのかしら?
年齢のせいかしら?
乳マッサージが足りない?
マッサージのやり方が悪いのかしら?
ゴメンね、ママのおっぱい出なくてゴメンね…。
24時間、そんな気持ちに心を痛めながら、我が子と向き合うなんて、
僕なら置き手紙を残して逃避行してしまいそうです…。
一番大切にしているもの…
それは3人が穏やかに暮らすことです。
その瞬間、その瞬間という意味で。
プレッシャーと罪悪感を抱えたママ。
そのママの気持ちを感じ取り、落ち着かない娘。
頑張れとママを激励するポジティブにズレるパパ。
何かのスイッチが入れば、
上記の家族としてAQUA MIXTが運営される可能性があったかもしれませんね。
肩の力が抜けて楽しそうなママ。
そのママに抱かれて安心の娘。
そのふたりに感謝しながら黒子になるパパ。
大切なものを本当に大切にするには、
何を一番に大切にするかを
自分が分かっている必要があります。
そして、自分のもとにやってくるものをすべて受け容れる勇気も…。
他人と比較して不安になることに逃げたり、混乱したり、
逆に頑張ったりしてしまいがちですが。
そして、ポジティブにズレた場合、
「ねばならない思考」になったりもするので、
「…にこしたことはないね。」と
自分に言い聞かせると良いかもしれませんよ。
それができることにこしたことはない…と
今の状況を受け容れる姿勢と、
それができなければならない…と
今の状況を受け容れない姿勢では、
生きている世界が違うように感じます。
全てを受け容れ、後は加点法の生き方か?
何か足りないと思い、それを埋めようとする減点法の生き方か?
どの世界に住むかは僕たちが選択できるわけです。
「20㎖足してもいいじゃない。
40㎖足して、赤ちゃんが眠ってくれるなら、それでいいじゃない。」
(「D・A・T・E! 恋したっていいじゃない」… は、渡辺美里)
…と助産師の方もママさんの不安を和らげるように話していました。
正解ない世界で、答えを探して彷徨うよりも、
バカボンのパパのように、
「これでいいのだ!」と自信を持ちたい…と祈るのでした。