すべてが神さまからのメッセージ

ハッピーライフ

おはようございます、高校生の頃、
光GENJIのようにデニムの短パンを履いていた潤治です。IMG_0582.JPG
デニムのショートパンツ…
“認めたくないものだな…、
自分自身の若さゆえのあやまちというものを…”

といった気分です。
おまけにバンダナを頭に巻いていました。(JR東海か!)
光GENJI の影響のせいにしていますが、
そのデニム短パンを履き、電車に乗り、映画を観に行こうと考えたのは、僕自身です。
女の子をデートに誘ったのも、
バンダナを短パンのベルト代わりにしようとしたのも、
後ろポケットに入れてアクセント代わりにしたのも、全部全部、僕の判断です。
光GENJI のせいにして、過去に蓋をすることもできますが、
自分自身の若さゆえの過ちを受け入れると、
懐かしさのほうが増大
していきます。
「受け入れること」 が心の力にブレーキを踏む事柄から解放するように思います。

心の力にブレーキを踏む事柄…

心理学を体系的に学ぶ×スピリチュアルな視点


こうでなければならないという執着
本当はやりたくないことをやろうとしている矛盾
問題は自分の外にあると思う責任転嫁
犠牲者になってその事象に向き合わない自己憐憫
承認欲求の間違った表出→自己顕示欲
損得のものさし

…などなど。
でも、そんな気持ちに浸るのも、
僕たちは許されています。

だって、にんげんだもの。(みずを)
それをあたかも許されないことのように扱うと、
苦しくもなるでしょうし、自分じゃない誰かになろうとしてしまうかもしれません。
こうでなければならないという執着は、
自分に厳しい分(本当は甘い)、他人への批判や憤りが増えるでしょう。
新しい可能性を吟味することもないかもしれません。
本当はやりたくないことをやろうとしている矛盾は、
我慢することを自分にも他人にも強要するかもしれません。
こんなに頑張っているのに…と「…のに」 が口癖になるでしょう。
問題は自分の外にあると思う責任転嫁は、
その時は、心の負担や痛みに鎮痛剤を打ったように楽になるかもしれません。
しかし、知らず知らずに心の澱は増えていき、無気力・無感動につながるでしょう。
犠牲者になってその事象に向き合わない自己憐憫は、
自分をかわいそうと思う気持ちよりも、かわいそうな自分を世界に発信して、
何かを得ようとする、苦しみに満ちた愛情欲求になるかもしれません。
承認欲求の間違った表出→自己顕示欲 は、
シンプルに愛を表現できないため、
自分の気持ちや相手の気持ちに鈍感になるかもしれません。
何か正しい判断や評価、情報が欲しくなるでしょう。
損得のものさし は、
他人からどう見えるか、どう影響を与えられるかを最優先にし過ぎて、
自分の心のものさしを使うことが無くなっていくかもしれません。
本当に望むことを見失うでしょう。
そうした感情やありがちな思考が、
神さまからのプレゼント
だとしたら…、
それを認めて、受け入れることが大切かもしれません。
そのうえで、それらの影響を感じ、
何を選択するか自分で決められることを知る。
否定するのではなく、共存していく覚悟のようなものでしょうか。
『決める力』 が人生を、さらに豊かなものにしていくと思います。
どんな答えも間違いじゃなく、許されている世界で、
心が喜ぶこと、今の自分に正直なこと、楽しくなる選択をしていきたいですね。
みずを (水本潤治)

タイトルとURLをコピーしました