コーヒーのおかわりいかが?と世界の中心で叫びたいお話。

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こんにちは。寛子がアンケートに答えてもらったQUOカードsP4080062.JPG財布の中に見つけ、コンビニでお菓子を買って至福の潤治です。
先日の記事「コーヒーのおかわり要るか要らないか怖くて訊けないお話」に、
たくさんのご感想をいただきました。
スピリチュアルカウンセリング・コーチングなどのセッション、またワークショップやレッスンにおいてもブログの記事を引き合いに進む場合がよくあります。
そのほうが学びや気づきを得やすいということでしょうか。
ブログをお読みいただき、ありがたい限りです。

※テーマ毎にスピリチュアルカウンセリングをする

も楽しい時間です。

さて、その記事では、自分自身の市場価値を知る というお話でした。
それとともに、コーヒーのおかわりを勧めるという事象を題材にしながら、
断られる怖れについても書きました。
今回は、その断られる怖れ理解されない怖れなどを中心に、
それが幻だということ、
それがどういう感覚から来るのか、

を記事にしてみました。


断られる怖れは、
自分の思いの強さに比例して大きくなっていきます。
その思いの強さがどういう感情から来ているのかにもよりますが、
(怖れから来ることもあります)
自分を中心に考えていると、
コーヒーを勧めるという機会をどう使うかよりも、
こちらのおかわりの申し出を “要りません” と断る人に
どう対応するか、どう自分の心を見つめるか…と

怖さを克服したくなります。
その怖さや自身のものの見方や考え方を見つめていくことも大切です。
そして、自分自身の
コーヒーに対しての強い思い入れや、
コーヒーをみんなに理解してほしいという気持ちとともに、
相手が何を望んでいるのか?
に目を向けることも大切です。
断られることへの恐怖や憤りは、
自分自身を守るためにしていることです。
自分中心の世界からものごとを見ていると感じやすいかもしれません。
“この人、僕をどんな風に見ているんだろう?”
“かっこ悪いとか、疎ましく思われたら嫌だな”
“上から見られたり、軽んじられたら嫌だな”
“自分の存在価値あるんだろうか?”

そんなことを思って、しばらく自分の世界に浸ることが僕にはあります。
まさに、自分中心の世界。
自分の周りを太陽がまわっている…天動説です。
自分中心ではなく、
ありのままの世界を謙虚に受け止められる強さが
僕にも少しでもあればと思うことがしばしばあります。
そのうえで、
相手の求めるものと自分に何かズレがないか。
そのズレを日頃から修正するようなコミュニケーションを
自分を取り巻く環境と取っているだろうか。
僕は何を求められているのだろうか?
目の前の人は何を求めているだろうか?
言外にそのような気持ちが表現されていなかっただろうか?

そのように感じています。
そのことを知るためにさまざまなコミュニケーションを取る必要があります。
その人の欲求を聞き出すような質問力
その人のストーリーを感じてみようと思う好奇心
その人が自然にリクエストできるような安心感

に集中できる人間力を身につけていきたいなと思っています。
コーヒーのおかわりを伺うひとつのシーン。
ひょっとしたら、お客さまの回りを巡回して、
灰皿を交換することがお客さまの最優先の欲求かもしれません。
そのうえで、空になったコーヒーカップを見つめて、

“コーヒー、美味しかったですか?”

“美味しいコーヒーをまた、出したいので、
何かヒントがあれば教えてくださいね。”

そのようなことを質問したり、お願いするかもしれません。
また、コーヒーを飲み干したお客さんのもとに行き、
“今日はいつもより、早い時間に来られましたね。”
“雨、降らなければ良いですね、今日。”

といつも感じている感謝や、
その人への祈りを伝えるかもしれません。
自分を認めて欲しいということがお客さまの欲求かもしれないからです。
そうして、はじめて…

“おかわり、要りませんか?”
“うん、ありがとう。お願いします。”

となるのかもしれません。
美味しいコーヒーを出したいというお店側の気持ちを
誰もが有り難く思ってくれるでしょうから。
ベジタリアンの僕は飲みませんが…。
外でランチをする時に、
無料でコーヒーか紅茶が付きますが?と訊かれ、
要りませんと伝えると、
何故?無料なのに?
何だったら、後でまた訊きますけど?
というようなウェイトレスの顔に…、
ちょっぴり面倒くさくなる潤治なのでした…。

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