「子育て」は「親育て」であり、「子育ち」と思うとある日常

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
どんな感情もあなた自身
AQUA MIXT 潤治です。
「不惑」 と呼ばれる歳を過ぎ、数年が経ちましたが、惑わず、迷わずに生きているかと言えば甚だ疑問です。
夫婦のパートナーシップで研磨しあうことが、ある程度落ち着きを見せてきたと感じていました。その学びを共有するレッスンやワークショップを多くの方々とご一緒してきました。
40歳を超えてからやって来た新しい家族、娘の小葉の存在で踊り場で足を止めていた僕に人生のステージはまだまだ新しい挑戦が必要なのだと教えてくれたように思います。
僕の場合はそれが「子育て」という機会だったようです。
僕自身が家族というものに幼少期から理想と挫折を感じているからかもしれません。
僕にとっての学びが一番必要な形で訪れてくれたということですね。
恋愛やパートナーシップも大好きなテーマですが、
のっぴきならないギリギリの状況になって精神的に成長するためには
「子育て」という機会のほうが僕にとっては良かったようです。
それが「仕事」「事業」「育成」「恋愛」「不倫」「離婚」「収入」「介護」「家族」「相続」「友情」…
などなど、各人にとって学びのテーマの設定があると感じます。
(天命ということですね。)
ですので、比較することは意味が無いということを
(そして、傷ついたり、傷つけたり、批評したり、非難したりすることも)
言うまでもないですが、言葉にしておきます。

世の中には比較を促し、人と人とのコミュニケーションを
難しくさせる場合が少なくないなと思います。
参考記事
生まれる前に僕たちは自分の人生を設計、設定して現世にやって来ます。
そして、うっかり忘れてしまったために生じる迷子のような感覚は、
人生の醍醐味でありますが、それに囚われることのないようにしたいところです。
「スピリチュアル記憶喪失」と言えるでしょうか。
さて、話を戻しますが、「子育て」と言っていられないシーンが目白押しで、
子を育てるという感覚は次第に親という役割を通して、
自分を育てるという感覚になってきました。
つまり、「子育ち」「自分育て」ということです。
常に向かわされるのは、自分の感情であり、自分の過去、思考、価値観です。
そして、それに向かいたくないと思っている自分であることもあります。
夫婦で教育方針をすり合わせるというシーンのことでした。
お互いの育ってきた環境が違うのは頭で分かっていますが、
それが子育てというシーンでは、お互いの価値観がテーブルに載せられて、
どっちが正しいか、どっちが娘のためになるかとあらためて
自分の過去を見つめ直す機会になってしまったのでした。
今まで夫婦の価値観の違いを相乗効果と思い、その恩恵を多く受け取ってきました。
価値観の違いをどう扱うかは、これまで、「排除→容認→歓迎」
いう精神的な成長と共に変わっていきました。
その成長の過程を振り返れば、自分にとっての大きな財産と感じることも多く、
人間関係も自分がそうして成長することで穏やかな豊かなものになっていきました。
小休憩が好きな僕ですので、そのまま人生も穏やかに波風立たず、
凪の状態でいくのかと思いきや、せっかく積み上げた積み木を崩し、
また再構築していくような気持ちです。
そういった僕に学びの機会を提供しなくては!という使命感で、
娘の小葉はやって来てくれたのかもしれません。
「パパ、宿題!」ということでしょうか。
忘れていたドリルの本を見つけてしまったような気持ちです。
「自分の過去を認める」という作業は、
心の筋肉痛を生み出してくれます。
心マッチョになる日はいつのことか?

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