自分に集中することに後ろめたさがあるなら…

スターシード子育て

先日、ママ友・パパ友とよみうりランドのプリキュアショーを観に行きました。
年末の休暇を使ってやってくる「大人のお友達」が多数を占める中、子どもたちもショーを観て盛り上がりました。

プリキュア好きの女子5人は、ショーが終わっても興奮冷めやらぬ感じでかくれんぼやら鬼ごっこやら遊んでいました。親たちの意図としては、乗り物に乗らずに済ませたいわけで。

彼女たちと遊んでいると、とても仲が良いことに氣付きます。

子ども特有の意地悪さや残虐性、暴力性を感じることがほとんどありません。

通っている幼児園がスポーツを軸にした体育会系の教育方法であることと幾ばくか関係があるように思います。

先日まで行っていた2泊3日のスキーキャンプも驚かされましたが、子どもたちが年中さんになると運動会では一周130メートルのトラックを2周、全力で走らされます。全力で走るので、中には泣きながら走っている子もいます。

皆、苦しそうです。

観覧しているほうは、誰の子だろうとその姿にたまらず大声で応援してしまいます。

子どもたちはそのレベルに達するために、練習を積み重ねるようです。
そのギリギリの中で、仲間として協力し合わなければ乗り越えられないし、羨んだり、やっかんだりする暇もなく、自分に集中せざるを得ないわけです。そうでないと乗り越えられない壁をいつも設定させられます。

誰にでもある「内なる暴力性」は、未消化にならず、抑圧されずに運動や競争などで健全に昇華されていきます。
分かりやすい「勝ちたい」「負かしたい」「差別したい」という氣持ちが抑圧されません。

「内なる暴力性」を抑圧すれば、こじれて表出してくると僕自身は感じます。

大人の世界では、このこじれたものの表出がとても多いわけです。
比較したり、批判・非難、中傷、蔑んだり、陥れたり、いじめたり、仲間はずれ(排他)にしたり…

やっていることは、高度に隠された「暴力性の表出」であることも少なくありません。
そのかげにある「哀しみ」に氣づけると人間関係は良好になります。

さて、僕自身、セラピストと呼んでくれる人たちのおかげでたくさんの恩恵を得ています。
ありがたいことに持ち上げてくれる人も多くいます。

調子にのると宗教団体のひとつやふたつ、立ち上げなければならないのか?と思うこと、はありません…。

セラピストの陥りがちな罠で、「聖人であらねば」と自分にプレッシャーをかけることはあります。多くのセラピストや役割を演じる人に当てはまるかもしれませんね。

暴力性をひた隠すために、それが加齢臭のように匂う人もいるでしょうか。

何となく高圧的な、
話しているとプレッシャーを感じる、
なんだか自分がダメな人みたいに思えてくる、
依存心をかき立ててくる、
対面していると頭が真っ白になる…

そんな時は、その人の加齢臭をかぎ分けている証拠でしょうか。

僕もそのような加齢臭が出ないよう、自分を省みつつ、目に前のことに全力で向かいたいと思います。

自分に集中することの副産物は他人に優しくなれることだと僕自身は思っています。

残念ながら、他人を優先させることの美徳が語られ、反論できないようなミスリードも世の中には多いですね。
「内なる暴力性」を抑圧させながら…。

2018年、どのように自分の人生を生きたいでしょうか。
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