見守る愛と見張る愛 すり替わる愛情 その1

スターシード子育て虐待
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AQUA MIXT 潤治です。
子育ては親の心育てと感じる今日この頃、
振り子の法則というのか、娘を思う気持ちが揺れ動くことがあります。
娘の成長を見守る気持ちと見張る気持ちです。
何だか奇妙な言葉の対比ですね。
見守る愛と言うと恰好が良いですが、見張る愛となるとおどろおどろしい気がします。
それは、つまり、監視し続けたいという思いでしょうか。
本当にありがたいことに多くの人に娘の小葉は大切にしてもらっています。
近所の人、商店街の人、サロンにお越しになる皆さん、お義母さん、実母、義理の弟さん…。
いろいろな人に触れて成長してくれればいいなと思っています。
そう言いながらも、ある感情が芽生えてくることを感じます。
自分だけが娘を独占したい、可愛がりたい、自分の影響下で成長して欲しいといったところです。
大切にしたいという気持ちがいつの間にか娘を
無菌室にでも閉じ込めておきたい看守のような気持ちにすり替わっていく時があります。
そんな物騒な気持ちを感じる自分に驚くこともあります。
そこまでひどくなくても誰にでもある感覚ではないでしょうか。

先日、最愛の息子さんを保育園にあずけることに抵抗があるというご相談を受けました。
今まで手塩に掛けて育てた息子さんを他人の管理下に置くことは
とても抵抗があるというわけですね。
子を育てる時に、
親から引き継いだものを自分で止めようとするお母さまは少なくないと思います。
例えば、父親の暴力や母親のヒステリー、
虐待や差別、被害者意識やコントロールといった感情でしょうか。
流れを自分のもとで止めようと、過去の悲しみや癒されない感情を自分で抱えつつ、
我が子にはそういう思いをさせまいと人知れず大義を全うしようとしているわけです。
そのような思いを抱えて育てていた息子を
他人に任せることに抵抗があるのはとても当然な感覚と僕は思います。
「いろいろな人に触れて、いろいろなことを学ぶんだから…。」という正論もありますね。
正論と感情論を一緒にテーブルにのせれば、
正論が理屈では感情論を抑えつけるでしょう。
感情論がどこに端を発しているのかを知らずに
正論を振りかざすのはぶれたコミュニケーションだと感じます。
その感情がどこから起こってくるのかを知り、
その感情を癒すことがそのコミュニケーションの本質です。
癒し合うということですね。
僕の持っていた感情…
「自分だけが娘を独占したい、可愛がりたい、自分の影響下で成長して欲しい」
これに似た感覚が学生時代にもあったような…。
「自分の影響下で成長して欲しい」
「俺が幸せにしてやる」(考えてみれば傲慢…)
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