マスターは東儀 宗介(とうぎ そうすけ)、かつて天使だった頃の名は、メネフィール (Menephiel)。
仕事帰りや週末に通う常連OKは、小鳥遊 紬(たかなし つむぎ)、28歳。中堅デザイン事務所のグラフィックデザイナー。
平日の夜、『刻詠珈琲店』の小窓から、澄み切った夜空が覗いていた。昼間の暖かさが嘘のように、陽が沈むと気温は一気に下がる。店内では、紬が首元にストールを巻き直しながら、カウンター席でホットコーヒーに口をつけていた。
壁際の古時計が七時を告げると、宗介は静かに新しい豆を挽き始めた。豆を挽く音だけが店内に響き、その合間に、かすかな秋風が窓の隙間から忍び込んでくる。窓の外では、月が東の空に昇り始め、都会の明かりにも負けない輝きで、静かに秋の深まりを告げていた。
「宗介さん、あの、タロットカードとオラクルカードって、見た目は似てるけど、何が違うんですか?」
紬は、カフェの壁に飾られた、少し古風なタロットカードの絵柄をじっと見つめながら尋ねた。
「なんか、タロットカードの方が、少し怖そうな絵が多いような気がして…。オラクルカードみたいに、きれいで優しい絵柄ばっかりじゃないですよね。初心者には、やっぱりオラクルカードの方がいいのかなって?」
彼女の質問に、宗介は笑みを浮かべた。
(その通りだ。多くの人が、初めてカードの世界に触れるとき、同じ疑問を抱くものだ。)
「紬さん。それはね、とても良い気づきだよ。タロットカードとオラクルカードには、いくつか大きな違いがあります。」
「タロットカードは、まるで人生の『スコアボード』のようなものです。そこには、今の紬さんの状況が、客観的なデータとして記されています。一枚一枚に厳密な意味が決められていて、『塔』のカードが出たら、それは『崩壊』や『急激な変化』を意味します。良い意味だ、悪い意味だ、と判断するのではなく、『今、人生で大きな変化が起きている』という客観的な事実を受け止めるためのものと言えるでしょう。」
「なるほど…。タロットカードは、客観的な事実を教えてくれるんですね。」
宗介は、紬の疑問にひとつひとつ丁寧に答えた。
「その通りです。そして、オラクルカードは、その状況を実況中継している『アナウンサー』のようなものです。アナウンサーは、データだけでなく、『今の選手は、とても集中していますね』とか、『このチームは、ここから逆転を狙っているようです』といった、その場の雰囲気や、これから起こるであろう流れを、私たちに語りかけてくれます。」
「アナウンサー…?」紬はその違いを整理するようにうなずいた。
「そうです。オラクルカードには、タロットカードのような厳密なルールはありません。そのカードから、紬さんが何を感じ取るか、という『直感』が最も大切になっていきます。だからでしょうか。オラクルカードの絵柄も言葉も、見る人の心に優しく語りかけてくれるようなものが多いんです。」
宗介は、紬にコーヒーのおかわりを淹れながら、さらに言葉を続けた。
「そして、もう一つ大きな違いがありますね。それは、時間軸です。タロットカードは、主に今から数週間、長くても数ヶ月先までの、短期的な状況を読み解くことが得意と言えます。『今月のプロジェクトはどうなるか』『この恋愛は近いうちにどう展開するか』といった、目の前の現実に焦点を当てています。」
「短期的…ですか。」
「そうなんです。一方、オラクルカードは、もっと長い時間軸を見ることができます。数ヶ月先はもちろん、数年先、時には紬さんの人生全体を通して学ぶべきテーマや、魂の使命といった、もっと大きな流れを教えてくれます。それは、まるで預言のようなものです。」
紬は、少し驚いたように目を見開いた。
「預言…?それって、すごいですね」
「ええ、そうですね。そして、もう一つ重要な違いがあります。それは、どの次元から見ているか、ということです。」
宗介は、窓の外に目をやった。
秋の陽射しが、彼の横顔を柔らかく照らしている。
「タロットカードは、私たちが生きているこの現実世界、三次元の視点から物事を読み解きます。『今、あなたの周りで何が起きているのか』『どんな困難があるのか』『何に注意すべきか』といった、地に足のついた現実的なメッセージを伝えてくれます。それは、まるで、この世界を歩く私たちの目線で見た景色のようです。」
「三次元の視点…。」紬は熱を帯びて、話してくれる宗介を見ながら、うなずいた。
「そうです。ですが、オラクルカードは、もっと高い場所から見ています。それは、高次元の存在、天使や宇宙の英知からのメッセージです。彼らは、私たちが見ている現実よりも、ずっと高い視点から、私たちの魂の成長や、人生の本質的な意味を見つめています。」
宗介は、静かに自分の胸に手を当てた。
「私たちがかつていた場所からの視点、とも言えるでしょうか。そこから見れば、今あなたが困難だと感じていることも、すべてがあなたの魂を成長させるための、大切な祝福と捉えることができます。」
「祝福…。」
「ええ、そうです。タロットカードが『この人間関係には注意が必要だ』と警告するとき、オラクルカードは『この人間関係は、あなたに境界線を引くことを教えてくれる、素晴らしい学びの機会だ』と伝えてくれます。同じ出来事でも、見る視点によって、意味が変わっていくのですね。」
宗介は、優しい眼差しで紬を見つめた。
「例えば、タロットカードは、紬さんに『ここに落とし穴があるから気をつけて』と教えてくれるとしましょう。一方、オラクルカードは、『その落とし穴は、あなたがもっと強くなるために用意されたものだ。恐れずに、その経験から学びなさい』と励ましてくれるのです。どちらも真実なのですが、視点が違うわけです。」
「なるほど!タロットカードは注意を促してくれて、オラクルカードは勇気をくれるんですね。」紬は、熱を帯びて説明してくれる宗介の気持ちがわかったように思えた。
「その通りです。そして、オラクルカードは、あなたの魂の使命にまで踏み込んでくれます。『あなたは、この人生で何を学び、何を成し遂げるために生まれてきたのか』『あなたの魂が本当に望んでいることは何か』といった、もっと深いレベルのメッセージを伝えてくれます。」
「そうか!オラクルカードは、私の心に寄り添ってくれるだけじゃなくて、もっと深いところまで教えてくれるんですね!」
「そうですね。どちらが優れている、というわけではありませんが。タロットカードは、紬さんの人生を客観的に見つめ直し、現実的な対処法を知るための、とても強力なツールです。一方、オラクルカードは、紬さんの心の声に耳を傾け、魂の成長を優しく見守ってくれる、大切なパートナーと言えるでしょう。」
宗介は、カップを優しく両手で包みながら、言葉を続けた。
「もし、紬さんが今、目の前の問題にどう対処すべきか悩んでいるなら、タロットカードが具体的な指針を示してくれるでしょう。けれど、もし、紬さんが『私の人生は、これでいいのだろうか』『私は何のために生きているのだろう』と、もっと大きな問いを抱えているなら、オラクルカードが、その答えへと導いてくれますよ。」
「なるほど。使い分けができるんですね。」
「そうです、使い分けができるんです。オラクルカードは、カードリーディングの楽しさを知るための、最初の扉です。その優しい絵柄と、心に響く言葉が、きっと紬さんを素晴らしい世界へと導いてくれるはずです。そして、もし、もっと現実的な指針を求めるようになったら、タロットカードの扉も開いてみるといいと思います。どちらも、紬さんの人生を豊かにしてくれる、かけがえのない道具なのですから。」
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