学校に行かなくてもいいんだからね!
小学1年生の夏、娘がおもむろに言いだした。
「パパ、わたし、学校に行かなくてもいいんだからね。」
この言葉は、僕にあることを考えさせるに至ったわけです。
- 「学校には行くものだ」と思い込んでいるのではないか?
- 学校に行かないと友だちができないというのは本当か?
- 義務教育とは、誰にとっての義務なのか?権利なのか?
- 娘は両親の思い込みに付き合ってくれているのか?
などなど、小さい頃から、本質的なことをサラッと言う娘に氣付かされることが多かったです。
「小学校はね、幼児園の頃に比べて嘘が多いよ。」
とも、娘は言っていました。
娘が言っていた幼児園は、認可外保育施設で、どこまでも独自路線で、先生たちも、個性豊かで本音の部分が多かったです。
小学1年生の秋から、娘の要望で「家庭の都合で火・木は休ませていただきます」と連絡帳を書くことになりました。週2〜3 で休むことになりました。
それが2年生の終わり頃になると、「来週は○日に登校する予定です」となりました。
その頃には、「3年生になったら、学校やめる!(絶対)」と宣言するようになっていました。慌てて、給食センターに電話して、給食をとめ、副校長ともお話させていただくことになりました。
積極的不登校である娘
3年生になり、娘は、
「やっと学校と縁が切れた!嬉しい!」
とご機嫌で朝、ゆっくりと起きてきます。
家族で話す機会は、当然、増えました。
また、娘自身、「今日は何をしよう?」「何がしたいかな?」と考えることも増えました。
不登校の親は、自らの思い込みをほぐす必要がある
学校にまつわる自分自身の「思い込み」を親はほぐす必要があります。
僕など、ベビーブーマー世代ですから、子どもが多くて統制をとるのに、学校の先生も親たちもたいへんだったことを記憶しています。
「学校に行かないとたいへんなことになる」
「りっぱな大人になるために学校に行け」
「我慢してでも、学校に行こう!」
そんなふうに思っていました。
義務教育とは、子どもの僕が学校に行かなければならないという義務だと思っていました。
親がしたほうがいいかな?と思うこと
- 学校に行くのは誰の義務か?の確認
- 学校以外の選択肢は何か?の調査
- 学校との対話
- 娘自身の学びたいタイミングを待つ
- 仲間とつながる機会を作る
- 親自身の不安を受け容れ、子どもの救援者にならない
- 人生全体を信頼する
学校とは、担任の先生、副校長、校長先生交えて話し、年3回の面談と、家庭で何を学んでいるのか?をレポートとして提出しています。
学校とのコミュニケーションは両者にとって大切なので、助けてもらいながら、提案しながら…進めていきたいと思います。