パパと娘のコロナ騒動「いつ学校をやめてもいいからね。」

娘と朝は登校することにしています。

「いつ学校をやめてもいいからね。本当だよ。」
と娘は小学校1年生の秋には、そんな気持ちをシェアしてくれるようになりました。
時間通りに命令されるのは嫌、同じことを何度もするのが嫌、先生の顔や友だちの顔がマスクで隠れているのも嫌。
マスク苦しい!

予定されていた行事は次々と中止になる。
そのわりに休校にはならず、
音楽の授業や国語の音読も積極的に声を出さず、
鬼ごっこも相手に触るので禁止され、
給食も黙って食べる。
親御さんたちも必要以上に仲良くはならない。
「コロナが落ち着いたら…」という空虚な言葉。

特殊な状況であり、それを納得して受容できるほどのことは起こっていない。
しかし、信じられないような政策や自治体の対応に心を痛める。

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いつからマスクが感染予防対策になったのか?

家から一歩、外に出ればマスクをした大人がいて、子どもたちも右にならってしっかりとマスクをしている。
マスクに感染予防の効果なんてあったっけ?と厚生労働省にも何度も問合せる。

「感染予防の根拠はなく、マスク着用の自由(責任)は各人にある。」

という咳エチケットの一部であり、症状のない人が常時つける意味はない…という行動指針にたどり着くわけで…。
ウイルスの微小性を考えたら、当然の帰着のように思うけど、世間はそうではない気がする。

PCR検査陽性者(無症状者)を「感染者」としている偏向報道や自治体の対応に憤りや恐怖も感じる日々でした。

「無症状者からの感染の根拠はない。」と厚生労働省の回答と世間とのギャップは、繊細な人なら精神的にまいってしまうだろうと思う。
そもそも、コロナ騒動に乗じた人権侵害(多くの飲食店も潰れ、娯楽も芸術も抑圧されました)に、正常でいられない気もする。

20歳未満のコロナでの死亡者は0ですが、自殺者は増えている。
娘がこれから歩こうとしている道にある石ころがあるなら、できるだけどかしてあげたい。

先日、小学校にプレゼンテーションしてきました

昨年、小学校1年生の頃から、学校の先生には、連絡帳でメディアではない情報源(医療従事者、薬剤師、政治家秘書、市議会議員、芸能人など)からのコロナ騒動について意見や疑問を提示してきました。

そして、先生に娘の健康相談もしていました。

「頭痛がする」「疲れやすい」「めまい」「吐き気」など。

心配なので、1度、医者に診てもらおうと思っている趣旨を伝えました。
それから、豊受クリニック(高野先生)に伺い、診断書をいただきました。

学校に電話をして、健康被害があるかもしれない旨を伝え、病院で「マスク不着用」の診断書をもらったことを伝え、お話をさせてもらえればとアポイントを取りました。

校長先生・副校長先生・養護担当の先生が対応してくださり、3名にプレゼンテーションをさせてもらいました。

そもそもマスクの意味はあるのか?
厚労省の文言を共有
常時マスクは害悪
無症状な人から感染する根拠はない
陽性者は感染者ではない
文科省の「マスク着用での感染防止の根拠がない」文書
テレビの偏向報道がひどい(外国資本やスポンサー企業への忖度)
娘のマスク不着用を先生からのクラスに伝えて欲しい

といった内容です。

そのプレゼンをしようと思ったきっかけは、あるママさんの行動でした。
子どもたちにマスクをさせて、我慢をさせている世界を変えたいという思いを持つママさんたちは多く、励みになりました。

みんなそうしているから…
みんな我慢しているんだから…
仕方がないでしょ?そういう決まりなんだから…

そのような言葉で、僕の人生も娘の人生も抑えつけたり、制限する必要があるのだろうか?
そこから、どうしたらいいのか?本当は何が起こっているのか?追求や探すところに人生の面白さはあると思います。

死ぬ瞬間の5つの後悔

いつも朝起きると、僕は壁につるしてあるコルクボードにレイキ(靈氣)をかけます。
自分の望みや祈りを視覚化した「宝地図」です。

そこには、「死ぬ瞬間の5つ後悔」という1日のスタートラインにつく心構えを育む文言が書いてあります。

死ぬ瞬間にこんなことを思ったとしたら…

  1. もっと 自分らしく生きればよかった
  2. 言いたいことは はっきりと言えばよかった
  3. もっと 自分の幸せを追求すればよかった
  4. もっと 自分の愛を表現すればよかった
  5. もっと 自分の魂に誠実であればよかった

ー今日、わたしは どう生きる?

と自分のこの人生でどう生きたいのかを明確にします。

まさか…

コロナに感染しないように、もっとマスクをしていればよかった
もっと子どもたちの安全のために感染症対策で消毒して、家でもマスクをさせればよかった
1枚とは言わず、2枚重ねにしてマスクをして過ごせばよかった
子どもたちの安全のために、もっとソーシャルディスタンスをとらせて遊びも制限すればよかった

…そんな風に、僕は死ぬ瞬間に思うだろうか?
きっと命をどう使うか?を娘ともっと話したい と思っています。

しかし、

正直、学校にプレゼンテーションをしに行くなんて面倒です。
適当に誤魔化して、子どもには適当に我慢してもらって…
そんな風に思う自分もいますが、きっと後悔するでしょうね。

「嗚呼嗚呼ァ、面倒臭い!面倒臭いけどやらないとだよなぁ…。」
「怖い、怖い怖いなぁ…知らない大人に説明や理解を求めるの。」

そう思いながら、資料をまとめ、小学校に電話をしたわけです。

「電話の向こうに優しい人が出てくれますように。」

 

投稿者
この記事を書いた人

スピリチュアル・カウンセラー ・催眠療法士・整体師 ・菜食料理研究家

両親の離婚をきっかけに、小学生の頃より心理学やコミュニケーションを探究し始める。
リストラ・離婚という逆境の中から、自分の生き方を見出す。
20年前より、学校カウンセラーとして、親子の悩みに寄りそい、現在は夫婦の「直感磨きセラピーサロン」を15年間主宰している。

自身の逆境の多かった経験から、コンプレックスや生きづらさを才能として活かす生き方のサポート、セラピスト・ヒーラーの育成をしている。

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