緊急事態宣言継続 不安の行方 自分の暴力に責任を持つ

潤治の徒然草虐待

昨日、緊急事態宣言について39の県で解除すると正式の表明がありました。
残念ながら、僕の住む東京都多摩市の解除は先のことになりそうです。

依然として、自粛生活は続きます。

「不要不急の外出」「3密」を避けるというお話が、いつの間にか外に出ることが危険のような喧伝、飛沫感染を防ぐためというマスクもいつの間にか空気感染に対する予防なのか?と思えるような装着っぷりで驚かされます。

テレビは不安を煽りますね。
御用学者の人相を見ていると胸が痛いです。

今日は何人感染した!
と発症者の数も検査数も不明のままであることも少なくありません。
陽性率も不明。

明確なゴールも見えずに、ただただ我慢や辛抱を強いられるわけですから、その抑圧された感情はどこかに向かうのは想像に難くないでしょうか。

子どもやパートナーにその矛先が向けられ、虐待や配偶者間暴力事件として扱われることもありますね。
そのたびに、心が締め付けられるような氣持ちになります。

自分の中の弱さを認められるかどうか、それを他人と分かち合い、慰め合えるかどうか、そういう関係性を誰かと結べているかどうか、

そのためのコミュニケーション能力を身につけているかどうか、は何か「ものを知っている」ということよりも大切だと、セラピスト・カウンセラー業をしていて思います。

「わたしは不安です。」

と言える関係性が誰かと結べていると、その不安は、創造力の源になると感じます。
後は自分がこの世にいる意味のようなものも。

「大丈夫、頑張ろう!不安なのは皆一緒だよ。今はできることをやるしかないよ。」

不安を味わうことなく、先回りして励まされることほどしんどいことはないなぁと僕自身は思います。

ネガティブ界隈の住人である僕からすれば(苦笑)、

「不安だよね、たいへんだよね。」

と一言、一旦不安をあずかってもらうというか、ワンタッチしてくれれば救われるのに、そうしない風潮(教育によってそれはなされた?)が世間にはあるように見えます。沈んだ心を沈んだままにしておいてくれないような。

将来の不安の解消のために、多くの人は「やらなければならないこと」を自分に強いていることがあります。

不安の解消のための行動は、いつかは燃え尽きると心理学では言われます。燃え尽き症候群ですね。

あとは、「ちゃんとやる」「命令に従うこと」で不安を解消しようとする心の動きもあります。これは教育で仕立て上げられた感がありますが…(苦笑)。

小学校の頃の「怒られないようにするためにどうすれば?」という問いに答えてきた結果でしょうか。

不安を覚えている自分を労ってくれる関係性は大切です。

AQUAMIXTが提供しているサービスは、この関係を作るためのスキルや姿勢、心の在り方を基にしています。

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