あの時こうしていたら… 身体を大切にする選択

ハッピーライフ健康・美容

人生にはたくさんの分岐点があり、今の自分とは違う自分がいるのかもしれません。
今とは違う選択をした自分ということですね。

好評の「あの時こうしていたら…ライフレビューリーディング」。
[clink url=”http://aqua-mixt.com/archives/26838″]

人生の振り返った時に、あなたにはどんな分岐点がありましたか?

僕の場合、大きな分岐点は「一度目の離婚」でしょうか。
(二度目は無いように不退転の決意をしていますが)

リストラ・大病・離婚や死別…

人生において大きな分岐点はあります。

小さな分岐点なら、もっとあるでしょう。

あの時、こう言っていたら…
あの時、こうしていたら…

「もし、あの時…」という言葉は残酷な言葉かもしれないし、未来への希望になるかもしれません。

僕が離婚をせずに、一度目の結婚を続けていたら、
果たしてセラピストとしての自分に出逢えていたかどうか…。

今ほど、健康に対して考え、自分の身体を大切にしていたかどうか…。

心理学、カウンセリングはお金にならないという決めつけ・思い込みを正当化するような人生を歩んでいたかもしれません。

健康に関しても、自分を大切に扱わないので、
自分を傷つけるような食生活や日常をおくっていたでしょう。

今回のテーマは「健康」

20代の頃、僕はお酒の飲み過ぎで、2回ほど急性アルコール中毒で救急車に運ばれています。

1度目は学生の時、「記憶がある人がこの店の勘定を支払う」というルールのもと、気がついたら病院でした。

2度目は社会人も熟れてきた頃、この時は自分の人生に嫌気がさしてて、現実逃避もしたかったのか速いペースで記憶を無くし、意識不明で救急車に運ばれ、病院のベットの上で一昼夜を過ごしました。
(まさにエヴァンゲリオン第弐話「見知らぬ天井」状態)

「命を大切にしなさい!」と看護婦さんにかなりお説教され、
手足がベットにくくりつけられていることに氣付きました。
かなり暴れたので、拘束する必要があったようです。

自分の身体を傷つけようとする癖は、その後の人生の選択によって変化しました。

「自分の身体は自分のものだ。」
「誰に迷惑かけているわけではないだろう?」

と傲慢な僕の考えは、その後の人生によって、そして、出逢う人たちによって変化したのです。

「自分の身体は自分のものだけれど、自分だけのものではない。」

今、僕が緩いとは言え、食生活をほぼほぼ菜食にして、加工品をあまり摂らないようにしているのは、その影響が大きいでしょうか。

「誰にも迷惑をかけていない。」などと良く言えたものだと省みて思います。
今の自分が当時の急性アルコール中毒で病院に運び込まれている僕に何かを言うとしたら、

「その命は、未来の僕のものでもあるから、大切にして欲しい。」と頼むでしょう。

そして、その命はまた、つながっていくのだからなるべく健康な状態にして欲しいとも。
これから出逢う人たちのためにも、健康で情熱的で、喜びや安らぎを与えられる人であって欲しい。

食事をするときにいつもする問いかけが、

「この食事は、未来への投資になる?」
「それとも、未来への消費になる?」

です。

この肉体はある意味、今世でリースしてもらっているものと僕自身は思っています。
ですから、その肉体をお返しする際は、なるべく経年劣化以外の不具合はなくお返ししたいなと。

もし、あの時こうしていたら…という分岐を、未来の僕から見て、今もそうしようとしています。

正しい・間違っているというものは無いかもしれませんが、魂は何と言っている?と問いかけの中にいたいと思っています。

タイトルとURLをコピーしました