先日、YouTubeの動画配信で、ドリーン新作カード「
「あなたは愛と光の存在です。」
わたしは愛と光の存在です!
しかしながら、「僕は愛と光の存在です!」と言い切るために、
「わたしってセロリー嫌いじゃないですかぁ…。」
「僕はね、愛と光の存在ですから~」
自分の影を自分で踏めないように、
娘を見ていると、いつでも無条件の愛を僕に向けてくれます。
まさにこの人は「愛と光の存在」と思うこともしばしばあります。
親が子どもを無条件の愛で包んでいるとか、正直、
そういう立派な大人がどこかにいるのだろうか?
しかし、娘の無条件の愛に、自分もひょっとしたら、幼少期、
親を喜ばせよう、愛されていると感じて欲しい、安心させたい、などの動機で発していた言葉や想いがあったのかもしれないと。
それが親に受け容れてもらえなかったり、親から自分を否定されたような気になってトラウマを持ったり、その後のこじれた人生をおくっている人がいるなら、それは「愛した証拠」と言えるのではないでしょうか?
残念ながら、僕は40歳を過ぎて、父親に「謝れ!正式に謝罪しろ!」と説教してしまう、立派な大人とは真逆の人間です…w。
ですから、愛と光の存在と自分で言い切るには、時間がかかりますが、
僕たちの中に「無条件の愛」が無いと言い切れない以上、その美しさが自分の中にあると思ってもいいのでは?と自問する日々です。(印象操作だと糾弾してください…)