こんばんは、潤治です
近所の桜ヶ丘公園は夜桜を楽しもうとする人たちが何組かいます。普段はひと気の
ないこの公園も今夜は騒がしそうです。
そんな風景を夕方ひとりで見ながら、公園で焼いもを頬張っていました。
夕方には月が頭上にやってきました。陽が落ち始めると月があることに気づきます。
昼間から、そっと月は空にあったんですね。後ろを振り返るといてくれる…、そんな
優しさを感じます。
今日は「パートナーシップのために…」を掲載します。
ついついハマってしまう僕の「ドアマット症候群」のお話です。
研修講師をしている寛子が新人研修のこの期間は僕は独身貴族のような気持ちで過ごします。 もちろん、別々に暮らすわけでもないのですが、ひとりでいる時間が多くなります。
あらためて「ひとりでいる時間」の大切さを感じます。
僕は自分の考えを主張する前に人に合わせてしまうきらいがあります。…というか行動に強いイエスがない…というか。
本当は何がしたいの? と自分に言い聞かせることもしばしば…。
特にこれはパートナーとの関係の中で強く現れます。自分にとって大切かではなく、その人にとって大切かかどうかで行動してしまう。
これも適度に相手との関係に境界線を引いておければイイのですが、境界線がないと自分のことを後回しにして、それだけならまだしも、それがいつの間にかイライラや不満になって、満期になるとパートナーとマイナスに分ち合います…。明確な意思を持っているように思われますが、パートナーとの関係の中では相手を
サポートする関係、サポーターになります。
相手が喜んでくれることを第一に考えますので、自分のことは二の次に一時的になります。「なに食べようか、エッ、○○が食べたい。じゃあ、そうしようか…。」
相手が喜んでくれるのが、はじめは嬉しく思っているのですが…
少しづつそれが嬉しさから、何かのモヤモヤになり、いつの間にか喧嘩の原因になっている…。これはしばしば、パートナーと僕の間で起こります。
本末転倒だよ…(涙)。はじめの気持ちはたしかに、「相手に喜んで欲しい」という気持ちだったはず…。
なのに、いつの間にか、「自分がドアマットのような気持ち」になる…。ドアマット…どうか僕を踏んづけてあなたの足を綺麗にして…。
どこでその分岐点があったのか…、よく考えます。
あの台詞かなぁ? あの行動かしら?
でもでも、どこにその分岐があるのかわかりません。そこで思い出されるのが、昔に付き合っていた方の言葉。
「潤治は“優しさ”と“優柔不断”を履き違えているのよッ、私を1番に考えて!」なぜ、なぜ? 今のタイミングでこの回想シーンが?
なぜ?
あッ、判りました! 受取りました、メッセージッ!僕の中で僕が1番に考えて欲しいことがある
僕の中で僕の責任を持つ必要がある
僕の中で僕のことを一番大切に考える必要がある相手を“愛している”という気持ちがいつの間にか、
相手を“愛しているから”という気持ちになり、そして最終的に“愛しているのに”という気持ちになってしまう…。愛情という大義名分で依存心や責任転嫁を覆い隠してしまっている…。
僕の中の依存心は「与えながら、奪いとる行為」として現われます。
直視するのは、苦しいですが、見つめないともっと苦しむことになります。
とくにパートナーと真反対の性格ゆえに、問題はすぐに表面化し爆発します。冷蔵庫の中の豆板醤のように、何年もそのままには放置できなくなります。
相手を好きでいるという気持ちと自分を大切にするという気持ちのバランスが崩れます。 これは僕の癖です。
小さい頃から勝取ってきてしまった思考パターンです。 父上、母上スキです。今、この瞬間から変われます。
自覚することで変われます。パートナーを愛するということは自分のことを最大に愛することをから始めようと思います。
ドアマット症候群の僕にはとても大切なことです。
パートナーが欲しいのは、イエスマンではなく、何を大切にしているかを表明することなのだと思います。
…ということをひとりで考えながら、外で焼いもを食べていました。
ひとりの時間の大切さを感じています。
…ということで今回は
「愛に掏り替わる依存心を見つめ続ける」
でした。