こんばんは、きゅうりとレタスの高騰でサラダ難民になりそうな潤治です。
千葉県安房産の菜の花、長崎産の新ジャガイモ…、スーパーマーケットの売り場では、すでに春の気配がします。
そんな気配を感じながら好きな野菜の買い物をする時、幸福感が湧きあがってきます。好きっていう気持ちのおかげで家事である買い出しがレジャーのように楽しくなります。
さて、最近、物事の行動基準を 【どれだけその行動が好きか?】 にしています。
損得、効率、しがらみ、役割、自己顕示…
せっかく、やっぱり、どうせ、しなくっちゃ…
ムーミン 「義務って何のこと?」
スナフキン 「したくないことを、することさ」
大人になると、いつの間にかいろいろな制約を自分で設けることが多々あります。
1度の人生…、好きっていうエネルギーを、人生の燃料にして生きたいと感じます。
好きって表明することは時に勇気が必要ですが、その機会から逃げずにいたいものです。
小学生の頃、好きって表明する怖さを体験してしまってから、僕は、臆病者になったように思います。
僕が小学校4年生の時、同級生にとても足の速い女の子がいました。
男子と競い合っても負けないくらいで、
あまり足の早くなかった僕は彼女に憧れました。
短い髪が向かい風になびき、白い体操服で走る姿はカッコよくって、
運動会のリレーで男子をグイグイと抜いていく姿がやけに眩しく見えました。
学校の廊下ですれ違う時、給食当番が一緒になる時、
授業で大きな声で発言する時、クラスの班が同じになる時、チラッと目が合う時…
いろんなシーンでドキドキしました。
その子が登校してくるのをいつも楽しみにしていました。
人を好きになるワクワクやドキドキを感じるのでした。
しかし、それと同時に襲ってくる感情に驚きました。
僕は君のように速く走れない…
僕は君のように授業中、大きな声で発言できない…
僕は君のように心の底から楽しそうな笑顔ができない…
僕は君のようにリレーのアンカーにはなれない…
僕は君のように…、僕は…。
彼女の魅力を感じるとともに、いつの間にか自分と彼女を比較して、
できない自分を…、自分の卑しさ、カッコ悪さ、情けなさ…を感じるのです。
彼女を通して、自分と対面しなければなりませんでした。
はじめての片想いでした。
と同時に自分自身との対面でした。
その後も片想いを経験します。
その都度、小学生の頃よりも巧妙に“できない自分”を見つけ出します。
彼女に僕はそぐわない…
そんなレッテルを自分自身に貼り付けます。
そのレッテルを傷つく自分に貼り付けることで、
本当に傷つくことから逃避するのです。
そぐわない自分なんだから、告白しても傷つくに決まっている…。
そうして、自分を守り、勇気を出すことからも逃げ出します。
好きって気持ちを大切に、
その気持ちを味わい尽くせば、
きっと、告白する勇気が湧いてくる
好きって気持ちに溺れてみても、いいじゃない
人間なんだもん。 ―みずを (日本の主夫)
あなたは何に、誰に、好きって言いますか?
心の引き出しにしまってある、好きっていう気持ち、取り出してみませんか?