いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日の記事
「消極的な理由で動き続けた男」
の続きになります。
僕が消極的な理由で動くプロフェッショナルだった頃の口癖、
「~しなくっちゃ」
「~するべき」
「~したほうが良いかな」が失くなるのは、
ある経験がきっかけでした。
スピリチュアルな教えに、
「楽しむことが人生を好転させる」
「人生の本質は楽しむこと」
「楽しむことが浄化につながる」
とありますが、経験して学ぶたびにその理解は深くなっていくように思います。
ある経験とは…、ふたつありました。
ひとつ目は、「燃え尽きた経験」でした。
そして、ふたつ目は、「怖れと向き合う経験」です。
寛子と出会う前、僕の原動力は「将来に対する不安」でした。
それを払拭するために、忘れるために、
嫌なことでもくたくたになるまで頑張りました。
くたくたになるまで、思考停止になるほどに頑張るわけです。
本当は自分が何を求めているかなんて考えてしまわないように…。
まさに、素面(しらふ)じゃいらんねぇ状態です。
しかし、その頑張りが燃え尽きてしまったおかげで、
僕は素面(しらふ)になってしまったのです。
そうしたら、今までできれば考えずにいたことが、
頭に浮かぶようになったのです。
「僕は、この人生でどう生きたいと思っているのだろう?」
頭の中にあった靄(もや)が、薄れていくのを感じました。
そのタイミングで、寛子と出会い、すぐに結婚することになりました。
こう生きたい…というお互いのヴィジョンが同じなら、結婚しよう…というわけでした。
無茶な選択でした…。
とっても怖いと思いました。
もう、面倒なことはゴメンだ!と思っていましたから。
でも、その怖れがなかったら…
僕はどうするだろう?
と考えたわけですね。
「この人と結婚しよう、同じヴィジョンを持って人生を生きたい」
そうしたい、そうなりたい!と思うことを選択したんですね。
しかし、お互いが同じヴィジョンなだけに、
相手のことがよく見えるのです。(あら探し状態)
と同じように、自分のこともよく見えるのですね。
パートナーを批評、批判したくなると、
「自分はどうなんだ?」
「自分はそのヴィジョンに向かえているのか?」
「おまえはいったい何をしたいんだ?」
と自問することが増えました。
本当は、そんなことを考えずに、
素面じゃいらんねぇ状態になりたかったのですが、
パートナーとの日々は、常に素面に戻る機会でした。
ああ、逃げたい…
ああ、逃げ出したい…
あああ、無茶な結婚だったんじゃないの?
と感じることもしばしば。
酒だぁ!酒もってこい…と叫びたい日々。
(素面じゃいらんねぇ…からね)
そのうち、その禁断症状がやわらいでいくのを感じました。
身体や心に溜まっていた怖れが抜けていったんですね、きっと
心の中に凪がやってました。
そして、静かな世界で自分の心を観るようになった時、思うのですね…、
自分の中に作り上げていた恐怖は、
実際はあれやこれやと思い描くほど、悪くないのでは?
あれやこれやと怖れや不安を増幅させて、
思考力を鈍らせていたのではないだろうか?
本当に望むことを表現したり、追い求めたりすることは、
そう難しいことではないのかもしれない。
と。
この思考が、「本来の自分」なのかもしれないと
思うようになっていったわけです。
その「本来の自分の思考」を維持するのは、
日常的なメンテナンスが必要です。
そのメンテナンスをしてくれるのが、
パートナーシップであり、自問するセンス、内省です。
(食べ物や憑依を取り除くこともね)
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怖れや不安と向き合うのは楽しいことだと気づいたのですね。
そうすると、
「~しなくっちゃ」
「~するべき」
「~したほうが良いかな」
で動くことが少なくなりました。
それは本来の思考ではないから。
面倒なことや怖れ、不安が思考力を鈍らせようとしても、
本来の自分の思考が働く機会だと解っているのですから。
そうか!僕はやりたくないんだ!止めよう!
そうか!僕は好きなんだ、これが好きなんだ!
やってみたい!心がウキウキするから。
と、本来の思考力が働いてくれるのです。
そうやって人生を積極的に生きることは、
人生を楽しむことにつながるんだと感じはじめたのですね。
ああ、結婚して良かった…w。
その時、ああ、そういうことか!?と
スピリチュアルな教えを振り返るのです。
「楽しむことが人生を好転させる」
「人生の本質は楽しむこと」
「楽しむことが浄化につながる」
ですね。
笑ったり、はしゃいだりすることが
楽しむこととは限らない。
怖れや不安と向き合うことが
本来の自分を取り戻す過程であったり、
その過程はとても人生を好転させる。
その過程を楽しんでいると、
自分の思考力が磨かれていくのを感じ、
思考力を鈍らせていた頃には味わえなかった
人生の本質のようなものに触れることができる。
それは無限に溢れ出る泉のようであり、
それは自分の中にあったんだぁ…という確かな信頼を感じさせてくれます。
そうして、ひょっとしたら、もっと自分や自分の人生を信頼してもいいのかも?
と思えるわけですね。
経験して学び、そして経験する…の繰り返し。
人生は僕たちが考えている以上にもっと楽しいものかもしれませんよ。
理由なんてなくても…良い世界かも。
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