いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日の記事
「消極的理由か積極的理由か あなたはどっち?」の続きになります。
何かをする時…
どんな理由で行動しますか?という問いでした。
…が、
子供の頃、ドッチボールをするのに、
理由なんてありませんでした。
ただ、楽しいから。やりたいから。わくわくするから。
誰かに「そんなことして、意味あるの?」と訊ねられても、
「意味なんかないよ、ただ、楽しいからやっているんだよ。」
と子供の頃の僕は応えていたでしょうね。
ドッチボールを今のうちにしておいたほうが、将来の役に立つとか、
偏差値に有利だとか、プロになって稼げるから…、
そんな理由はありませんでした。
理由は無いけど、
「ただ、楽しいから。やってみたいから。わくわくするから。」
で行動できる…ことはひょっとしたら、「今を生きている」 のかもしれませんね。
「今を生きる」なんて題目を追求している、
大人にはそれが難しく思えて、
面倒なことを考えるくらいなら、
楽しもうとしていた子供にできていたなんて皮肉な話です。
「考えるな、感じろ(Don't think, feel.)!」
とブルース・リーも言うはずですw。
理由が必要不可欠になったのは何歳の頃だっただろう。
何かするのに、理由を考えるようになったのは…?
なんでそんなことをしたんだ?
我が社を選んだ志望動機は何ですか?
なんで私のことなんか好きになったの?
わけもなくそんなことをして大人げないな。
そんなことをしたら、どうなるかわかっているの?
そんな周りからの「あなたの中の 根拠探し」が身に付いて、
理由なく行動することが怖くなってしまったのかもしれません。
りっぱな理由を創り出し、
周りの人たちを納得させなければならないルールなんて、
どこにもありませんから。
理由は無いけど、あの人を見ているとドキドキするの。
休み明けにあの人が出勤していると嬉しいの。
あの人からメールが届くとワクワクするの。
人を好きになるのに理由がないように、
人生を楽しく生きようとする心に理由などいらないかもしれません。
まさか…、
人を好きになるのに、周りを納得させる理由を探しますか?
条件や都合に添うから好きになっていこうとしますか?
心はNOなのに、誰よりも自分自身を納得させるために、
その行動にまっとうな理由が必要だとしたら、
理由よりも、心がYESというかどうか…
を大切にする時かもしれませんね。
その自分にとってのYESは、
世間の価値観では計れないものです。
…ということで、
消極的な理由が心に浮かぶときは、
自分を納得させようと頑張っている自分がいるのかもしれませんよ。
僕が消極的な理由で動くプロフェッショナルだった頃の口癖、
「~しなくっちゃ」
「~するべき」
「~したほうが良いかな」が失くなるのは、
ある経験がきっかけでした。
次回、「消極的な理由で動き続けた男」 に続く。