お日様に照らされて、芽が出て、花開き、そしてやがて、実を結ぶ…。
それはもれなく、僕たち人間もそうでしょう。
恋が始まるときは突然です。
年間計画にあらかじめ掲示されてはいません。
だからこそ、用意している・あらかじめ作ってあるパーソナリティで対応することが難しいのかもしれません。
大人になると、自分で創り出したパーソナリティを守っているために、
始まってしまった恋愛、突然の心の変化に戸惑います。
わたし、こんなに嫉妬深かったかな?
イライラしてしまうような器の狭さだったかしら?
僕は、こんなに情けないことを考えてしまうのか?
自分勝手でわがまま
依存心丸出しの弱さ
劣等感でチクチクする心
妙に高尚に思える犠牲心
恋愛は今までの自分を再構築するいい機会です。
その作業はとても面倒に思えることが多いので、
誰かを本心から好きになることを人は怖れるのかもしれません。
今までの、わたしはこうして生きてきたという
ある種の「誇り」を恋愛は一瞬のうちに僕たちから奪い去ります。
その「誇り」は「個人の神話」「人生脚本」「ドラマ」などと近いものがあります。
ひょっとしたら、僕たちを窮屈にする「観念」とも言えるでしょう。
僕たちが成長していく上でそれを崩すことを、
なるべく心がけたほうが人生を豊かにしてくれるように思います。
それは僕たちの「可能性」だからです。
今までとは違う自分を発見する機会にもなるでしょう。
しかし、それは洞察力や内省する力が必要になってくると僕自身は思います。
ひとりで向きあうのは厳しい道のりになるかもしれません。
「恋愛は飲んでも呑まれるな!」ということでしょうか。
ひとりで家飲みは酔っ払うものね。
相手の言動ひとつで、自分の心で今何が起こっているのかを
見失なってしまうことは多々あります。(僕だけ?)
怒涛の感情の波にさらわれて、溺れてしまうことも。
相手のせいにして、自分の平常心を保とうとすることも僕自身はよくありました。
「あの子は、誰にでも優しくして八方美人なんだ!」
「あの子は、好かれるために何でもする女なんだ!」
…と。
どうせ、あの葡萄は酸っぱいのさ!
と言った「狐と葡萄(イソップ寓話)」のキツネのようです。
本当に欲しいものを「どうしたら、いいのか?」と
冷静に考え、向き合う静かな勇気があれば、
過去の恋愛は、もう少し実りあるものだったかもしれないと自分を振り返って思います。
自分が創り上げてきたパーソナリティなど、
本当はいともたやすく変化してしまう曖昧なものかもしれないと、
自分自身を柔軟に観られる洞察力が欲しいと感じます。
凝り固まったパーソナリティの奴隷になるか、
そのパーソナリティに変化を起こす指揮者になるかは、
僕たち自身の人生への信頼度に比例するかもしれません。
それは恋愛だけではなく、人生すべてに影響を及ぼします。
ライフパーパス個人レッスンは
自分を見つめ、大きな流れを信頼し、
あなた自身の可能性を広げるレッスンになるでしょう。