「なりたくない!」と「なりたい!」はコインの裏表

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

AQUAMIXT 潤治です。

メルマガで書かせていただきました「ジャッジメント被爆」
自分らしく生きよう、人生の目的を生きようとする際に、必ず遭遇するものだと思います。
他人からの批評や批判、誤解、場合によっては中傷すらあるかもしれません。

at the creek
他人からどう見られるか?を怖れて、
窮屈だけど他人に合わせて生きるほうがよほど楽ということもあります。
僕が小学生の頃、アイドルの話をする際、
周りの男子は松田聖子か中森明菜かというところ、
「早見優が好き」という思いを抑えながら、聖子ファンになりすましたことも、
中学生の頃も同じく、小泉今日子(KYON2)などが加わり、聖子・明菜・キョンキョンか?
というところも、僕だけ「松居直美が好き」と言えなかったことも、
光GENJIが全盛の時も、口ずさむ曲は同じジャニーズだけど、
「少年忍者」「男闘呼組」の曲で、他人に気づかれないように心でハミングしていたことも、
他人にどう思われるか?
恰好悪いんじゃない?
少数派、奇異なヤツ?
と思われたくない一心でした。
そのような思考パターンはどこかでブレイクスルーする必要があるのでしょうね。
ずっと、つきまといました。

そして、それは社会人になっても、より強化されていったように思います。

僕がまだ、自分の資質を信じることができずにいた頃、

友人が心理カウンセラーとして独立しようとしていました。

心理カウンセリングの可能性を感じ、自分の中にある情熱に火がついたのでしょう。

好きなことやって生きていかなくて何が自分の人生か!と熱く語ってくれたものです。
彼はとうとう心理カウンセラーとして独立しました。
そして、そのことを周りにお知らせするというのは自然な流れかと思います。
モニターセッション、人脈づくりと異業種交流会などに参加し、
勤しんでいる彼を着々と自分らしい人生を生きているなぁと
僕は羨ましく、妬ましく思ったものです。

しかし、僕の周りにいた彼を知る友人たちの反応は冷ややかなものでした。

「あいつ、なんかおかしなこと始めたな。」
「暑苦しいメール来た?」
「いい加減なことしていたあいつが、

人のことを受容するとか、傾聴するとか、笑っちゃうよね。」

その評判を間近で聞き、僕はすっかり臆病になってしまいました。

早見優を裏切った遠い過去の傷が疼きます。
何でしたら、倉田まり子だって好きだったから。

そのような周りの評価を聞き、僕もライフパーパスを生きようとしたら、

なんて言われるかわかったもんじゃないな…と他人の言葉がとても怖くなりました。

ライフパーパスを進むと言いますか、

自分の人生を生きようと思う時、この状態は、よく陥りがちなものと僕自身は思います。

その後、彼はどうしたかというと…

心理カウンセラーでは食べていけないという結実を手に入れて会社員に戻りました。

いっそう僕のホラーストーリーは確固としたものになりました。

「失敗するぞ、自分らしく生きるなんて威勢の良いことを言って後悔するぞ、

誰もが通る麻疹のような熱にうなされるなよ、他人のふりみて我がふり直せだよ。」

などなど、僕を萎縮させるアドバイスは僕自身、

または他人の口から繰り返し聞かされることになったのでした。

しかし、ある時思ったのでした。

ある時とは、離婚もし、お金も無く、潤治最安値期です。
結局、僕自身という人間が何の価値もないことが分かった時。
(その状態がしばらく続くのですが…。)

「他人のジャッジメントを怖れて、体裁よく立ち回ろうとして、このザマか…。」

人生最安値の自分自身を思いながら、

自分のそうした「格好をつける習性」に嫌気がさしたのでした。
長く勤めた流通業を辞めたはいいけど、
コンビニの夜勤アルバイトでは、大学生にぼろくそに注意され、
派遣社員の時は、パートのおばさんに「使えない扱い」をされ、
社会的な立場は「ふりだしに戻る」どころか、ふりだしさえ決まらない始末。

正直に言うと理念に後押しされたのではなく、

こうした自分にムカついただけです。

「自分らしく生きよう!」
「自分の好きなことをしよう!」
「夢を追いかけて生きよう!」

と言ったものではなく、

「ああ、やってやるよ!こっちだってムカついてたんだからな、自分自身に。」
「何を格好つけてんだよ、バカか自分。」
「失うものなどないのに、守りに入ってんじゃねえよ。」

と半ば捨て鉢になってのチャレンジでした。

自分を自分で追い込んだ感じです。

メルマガで書いた「ナンパ話」は、若さゆえの「性欲」というものが、

このジャッジメント被曝をものともせずに前に進ませました。

大人になり、ジャッジメント被曝を怖れる時、

何を原動力にそれに立ち向かえるでしょうか?

僕は自己実現欲求だと思っています。

そしてその前に必要なもの…
個人的には最低な自分を知ること、
心の底から「嫌だぁぁぁ!」と思える状況に陥ること、
絶対になりたくない自分を1度経験してみること、
などだと思いますw。
「なりたくない!」 と 「なりたい!」
コインの裏表のように心に作用するものだからでしょうか。

その自己実現欲求を使いこなすためには多少の勇気と実践が必要です。

ライフパーパス個人レッスン準備編・行動編・発展編で扱っていきます。

この魔法を使えるかどうかは人生に大きな影響を及ぼすと感じます。
今なら言える。(→その時に言え!)
「日焼けした早見優に女神を感じたんだぁ!」
「松居直美の歌うしぐさが好きだぁ!」
「忍者から四銃士になっても好きだったよ!」
「倉田まり子も大好きだった!干されたけど!」
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