人は人生に「物語」を求める。
それは生きているという実感を持つためかもしれない。
その感情を激しく揺さぶるような「物語」があることで人は奮い立ち、怖れを克服することもある。
その反面、その「物語」は人生の大きな障害となって立ちはだかり、
人を鍵のかかっていない牢獄に拘禁することもある。
「物語」は二極性を取り込み、さらに躍動感のあるものとなる。
二極性とは、ポラリティなどと訳される。
「挫折・成功」「希望・絶望」「歓喜・悲痛」「優勢・劣等」「生・死」
「躁状態・鬱状態」「賛成・反対」「順風・逆境」「幸福・不幸」…。
その単語を目にしただけで、心が沸き立つこともあるかもしれない。
または、身体がこわばるような氣持ちになるかもしれない。
「物語」は「トラウマ」「ドラマ」と呼ばれることもある。
または、「脚本」「大義名分」「信念」「観念」などとも名を変えることもある。
「オレ、ちゃんと君のことを愛せているかな?」
「オレ、あいつのためなら、何でもするつもりだ。」
「オレ、あいつを最後の人にしたいんだ。」
「仕事とわたし、どっちが大切なのよ!」「決められないよ!!」
彼の場合、恋愛は著しくポラリティ中毒になりがちだった。
なぜなら、そうしたほうがエキサイティングなものになるからだ。
ふたりの間にながれる、静かな安らぎや穏やかさを単なる「退屈」と思えるのだった。
その時点で彼は本当の相手の姿を見ていないし、思いやることもなかった。
残念ながら、エキサイティングな恋愛を好む彼はどこまでも「ベクトル自分向き」であり、
究極的に言えば、自分だけが大切なのだ。
躍動感やスリルが恋愛をいっそう楽しいものにしてくれると信じて疑わないし、
相手に何かを与えるという行為は、そのための見返りを求めたものでしかなかった。
恋愛上手などと思いながら、彼は自己満足のために、相手を利用しているに過ぎなかった。
キャバ嬢に自分の上着を羽織らせて「寒いだろう?」といやらしく語りかけることも、
「え、家賃払えないの?」と嬢(未成年だったかもしれない)のありがちな嘘を信じてお金を貸すことも、
付き合った彼女のモーニングコールを実際に彼女の家の前からしなくても、
彼女とのデートの約束を飲み会でキャンセルし、穴埋めすると言ってディズニーシーに行くことも、
風邪をひいた彼女に精をつけないとと言いながら、自分の大好物の焼き肉を食べに連れて行くことも、
彼の自己満足のために相手を利用したと言えるだろう。
「なんて優しいんだ、オレ…。震えるほど。」
と悦に浸る彼に天は後ほどきっかけをくれるわけだが、
しばらくはこの「ウザさ」を「優しさ」と信じて疑わないわけだ。
できるだけ、高低差のあるアドレナリンジェットコースターに乗って恋愛関係を楽しみたいのだ。
自作自演のドラマを楽しみたい。
行ったり来たり、上がり下がりのある「感情ゲーム」は人生を謳歌しているように思えて疑わなかった。
さまざまなアドレナリンジェットコースターの状態はある。
喧嘩した後の仲直りのピー
別れを決意して離れたけど、もう一度だけ会いたくてピー
どうしようもなくダメな自分を慰めてもらうピー
職場で誰にも言えない関係でピー
仲良しグループの中で抜け駆けピー
ただただ支配欲求からのピー
背徳、秘密、罪悪感、支配、服従、自虐、堕落、裏切り、復讐…などなど。
恋愛にそのエッセンスを入れていくと上々な仕上がりになる。
残念ながら、今の彼はライフパーパスを進むために、その時間は無いようだ。
しかし、人は人生の遅延策として、その中毒症状に陥ることがある。
穏やかで、安らぎに満ちた中で、選択・創造していく世界よりも「確かなもの」に見えるからだ。
確かなものは闇の中。
暗中模索する勇氣を今の彼は多くの人の助けで持っているらしい。