今見える、体験している現実は過去のどのような「種」が発芽しているからだろうか?

No category潤治の徒然草

スピリチュアルカウンセリングの内容は多岐にわたります。

大人になって自分の中に何か不具合や誤用している感情や思考があることに、望まない事象に囲まれて気づくことがあります。

その基になる経験が幼少期にあることがほとんどです。過去生での経験の踏襲、強化づけであることもしばしば。

子供時代に培った価値観は、大人になった僕たちの行動指針や思考に影響を与えます。

子供の頃に精一杯、堪えてきたこと、我慢してきた感情は、大人になってから発芽します。

その種が発芽し、育ち、自分の思考癖、性格という実がなり、時には症状・病気という実になるかもしれません。現実はそうして作られるわけですね。実が現れるのですから。

その種から育った木の実を今の自分には必要ないからと無理矢理切り取ってみても、同じ実が何かのタイミングで成るでしょう。

切り取っても切り取っても、同じ実がなるので、嫌になったりするかもしれません。

同じことの繰り返しが人間関係でやってきたりすることはありませんか?

いい加減、実を切り取るのは嫌になったので、今度は覆い隠そうとします。

すると、覆い隠した実のそばで新しい実がなります。隠しても隠しても、同じ木から同じ実がなるのは自然のことかもしれません。

自分はどんな種を幼少期に持ったのか?

そして、その種がどのように発芽しているのか?

そのことと今起こっている現実を結びつけて考えられると、筋道のようなものが見えてくるかもしれません。

しかし、昔のことと今を切り離し、対処したくなるのが人間でしょうか。

病気と一緒で、対処療法のほうが楽で即効性があるように思えるからかもしれません。

生活改善や思考改善などは遠回りに思えるということでしょうか。

遠い昔の感情を癒したところで、今の何が変わるのだろう?と思いたいところですが、現実はその必要性を示してくれます。

その嫉妬心、怒り、自慢や虚栄心、自己評価の低さ、他人への憤り、自責や自傷癖、堕落や怠惰、執着や支配欲…などなど。

どんな幼少期の種がその現実になっているのでしょうか。

スピリチュアルカウンセリングでは、インナーチャイルドを癒すということで、役割演技(ロールプレイ)を使った「甘える・優しくされるセッション」もしています。

カウンセリングの間、優しくされる、甘えるという状態を相談しながら、その内容を事前に決めておきます。

クライアントにとって、それを選択して行動をとるということに大きな意味があるのだろうと、長いカウンセリング経験で思います。

その結果、現状が変わっていくのを何度も見ています。

新しい種を植えて、新しい実が現れるのに、そう長い時間がかかるわけではないことも感じます。

過去を許し、癒し、受け容れることの素晴らしさをスピリチュアルカウンセリングを通して感じさせてもらっています。

そして、そうした振り返る作業から、自分にはもういらないと思っていた「種」も、決して無駄ではないと思えるから不思議なものです。

それが許す、癒す、受け入れるということなのかもしれません。

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