自分を肯定するために、いったい何が必要というのか?

健康・美容

23日(祝・木)に開催されるスピリチュアルマッサージ基礎講座

この講座のエッセンスのひとつは、自己肯定感を味わうことです。
今の自分を感じ、ありのままの自分を受け容れるという感覚でしょうか。

自己肯定感の高低がその人の人生を決定すると言えます。

生まれて僕たちはどのように自己肯定感を得ていったのでしょうか?

心理学で習うことのある 13世紀、神聖ローマ帝国での実験の話です…。

新生児50くらい集めて「言葉教わらないで育った子供どんな言葉話すのか」というものありました。

もちろん、ミルクやおむつ替え以外は話しかけたり、合わせたり、笑いかけたりせず、ふれあいとらなかったわけです。

実験結果は衝撃的で、新生児は全員死んでしまうというものでした。

自己肯定感は命にまで関わる問題です。
しかしながら、それほど重要なものでありながら、その獲得の方法、お願いの仕方、他者とのコミュニケーションの取り方など習うことはありません。

自己肯定得る手段はさまざまで、そのの今までどう生きてきたのか?感じます。

偽りの自己肯定得たいために多額のお金払うもいるし、名誉や地位かけるもいます。実績や結果といった勲章を自分につけたがる人も。

しかし、かりそめの自己肯定感も偽りであれば、乾き続けます。
甘いもの食べて、喉乾くような感じと似ていますね。

ああ、でも、その一時の自己肯定感でもいいから、欲しってしまうの僕たちではないでしょうか?

その獲得の仕方で不具合を生じさせる人生を歩むこともあります。

かりそめの、間違った、自己肯定感感じたいために、否定的なものでも受け容れる時です。無視されるくらいなら、どんな働きかけでも良いから欲しい…ということですね。

どんなものあるかというと…。

身体的な暴力、精神的な暴力、ダメ出し、文句、批判や中傷…など。
程度の大小はありますそれで成り立っている親子・男女関係もあります。
存在無視されるよりは、たとえ否定されていても、受け容れるということでしょうか。わざわざ、もらいにいくときすらあります。

例えば、僕が小学生の頃、悪さをして先生に怒られるの何だか嬉しかったの覚えています。
「先生、オレに注目しているし、クラスのみんなも注目していぅ!きゃっほー!」

付き合っていた彼女の愛確かめたく、学生の頃、急に連絡取れない状態にして、慌てふためく彼女に「愛されているなぁ~。」と痛感したこと覚えています(迷惑な男…。)。

彼女の前で泥酔して、病院に運ばれて意識不明一昼夜続き、意識戻った時に彼女に怒られた時、「愛されているなぁ~。」とニヤリとしたことは覚えています思い出したくありませんw。

大人になってからはより複雑に、

「目標達成」「夢を成し遂げよう!」「地球に貢献」「人の役に立つ」など、他者からのツッコミがなさそうな強めのカードを使って、自己肯定感の代償行為にしていました。

自己肯定感じるために、どのようなことしてきたか振り返ってみると、
過去の出来事、その時の言動の理解深まることあります。

今ある、自分の鼓動を感じるだけで幸せになれるスピリチュアルマッサージ基礎講座は、ひょっとしたら、難しく誤作動しているかもしれない「正当化してきた自分」を優しく溶かしてくれるでしょう。

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