ある男のつぶやき…
僕はね、車は社会毒だと思ってる。
だってね、自動車事故発生件数は年間50万件にも及び、事故死者は4000人になるんだよ。
テレビでは自動車をかっ飛ばす爽快なコマーシャルをよく流しているよ。
そのたびに僕は思うんだ。
そうやって僕に危ない橋を渡らせようとしているなってさ。
コマーシャルはリスクをひた隠し、車がいかに便利で生活に必要不可欠なものであるかを認識させるために、多くのお金を使って僕をミスリードしようとする。
疑ってかかるのが吉だ。
騙されるもんか!自動車なんて運転せずに、家に閉じこもって、自動車事故のニュースを見るたびに僕の考えは間違っていない、正しいんだと思うよ。
自動車事故のニュースで、まともなコメンテーターはいかに車が危ないものかを語ってくれる。
でも、最近は自動車メーカーがスポンサーになることが多いからか、自動車事故を軽視したような報道が多い。
あきらかにスポンサーの意図だ。印象操作がえげつない…。
ひょっとしたら、自動車事故をあまり報道しないようにしているかもしれない。
気をつけろ!って自分に言い聞かせているんだ。
僕が社会人になり、経験を積み、いっぱしの責任を背負うようになった頃、同期や先輩たちは、僕が会社を辞めることに対して、猛反対をしました。
このまま会社にとどまることのメリットをとうとうと語ってくれた先輩もいましたし、会社を辞めてのっぴきならない状態になっている先輩の話を何回も聞かされました。
「水本、止めておけ。せっかく良いポジションを与えられ、お前のやりたいようにできるんじゃないか?」
僕のキレ気味に「辞める!」という姿勢が周りの心配を煽ってしまったのかもしれませんが、周りの人たちの「会社を辞めた人たちの末路」という脚色したホラーストーリーは、なかなか聞き応えがありました。
先輩たちのそうした説得をふり切り、僕は会社を辞めて起業することになるのですが、彼らのホラーストーリーは僕の人生にとってはあまり役には立ちませんでした。
世間の価値観では計れない、自分にとっての「大切なもの」は、自分にしかわかりません。
ホラーストーリーや他人の評価・批評を参考にすることなく、自分が大切なものを大切にできるか?は人生を後悔しないために必要な感覚だと思っています。
誰も、僕の人生の責任を取ってくれませんからね。
結局、ホラーストーリーを薦めてくれた先輩たちは、起業し、軌道に乗った僕に「水本の辞めるタイミングはいい時だったよな。」と批評家コメントをしてくれました。
日常生活での車の運転もリスクがあるのに、その便利さ、爽快さ、喜びや楽しみでそのことを重要視せずに安全運転を心がける人も少なくないわけです。
リスクをありのままに見られるということでしょうか。
リスクは日常生活にあり、共存しているわけです。
しかし、起業することに関しての「反応」は怖れが拡大しているように僕自身は思います。
世の中にはホラーストーリーがいっぱい…。