中学生の頃、体育祭に向けてリレーの練習をひとりでしていたことがあります。
早朝、起きてひとりでジョギングとサーキットトレーニングをしているわけです。
腹筋して、懸垂、短距離走、ゆっくりめのジョギング、スクワット…。
繰り返し、繰り返し、夏休み期間中は毎朝やっていました。
それは何かの目標への意志がそうさせたのではなく、体育祭で好きな女子に走る姿を見せたいという邪な未来予想図が、僕を駆り立てていたわけです。
リレーの選手でもありましたから、その注目度は高く(かといって、それが僕への関心に比例するとは限らないことをその時の僕は知る由もなかったわけで…。)、当然、好きな彼女が僕を目に焼き付けるだろうとワクワクでした。
「彼女が僕を見て、感動してくれる!(→バカ)」
彼女の熱視線を毎朝の早朝トレーニングで勝手に感じ、独りよがりの未来予想図に酔いしれていたわけです。
結局、意中の彼女のではないところから祝福はやってきましたから、その毎日の色ボケは無駄ではなかったと今でも思っています。
高校生の時も、浪人生の時も、学生の頃も、社会人になっても、そのワクワクする(ほぼ、中二病)想像力は、僕を駆り立てて、はじめの意図とは若干の誤差があるのですが、多くの祝福を得てきたように思います。
諦めなければ、夢は叶うとか、頑張っていれば報われるとか、結果重視のモチベーションコントロールではなく、ワクワクしてどうしようもなくなるようなことをいつもイメージしていました。
まぁ、ほとんどが邪なことですが…。
しかし、目標設定などを学び出してから、その歯車が狂い出しました。
目標設定をし、1日1日の夢に繋がるタスクをこなしていくという感覚は意志の力が必要でした。(その時点で「ねばならないこと」だったりしますが…。)
試練好きな僕ですから、逆境でこそ力を発揮すると自分を追い込み、背水の陣をしきました。
目標に対する意志が弱い自分を責め立て、自分が少しずつ嫌いになりました。
「自分を愛します。」などというアファメーションを小賢しく使ってもみました。さらに苦しくなりました。
なぜなら、すぐにツッコミをする自分がいたので。
「愛しているって言い切れる?本当に愛している?」
意志の弱さと自己矛盾で、セルフイメージはボロボロでした。
想像力は意志の力を陵駕するかも?
あなたはどんな想像をして、未来を創造していますか?