過去生に抗うか、従うか、それとも…第3の道

ハッピーライフ引き寄せ・創造

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
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AQUA MIXT 潤治です。
僕たち夫婦にとって人生のバイブル
「ジョジョの奇妙な冒険」
というコミックがあります。
その第6部「ストーンオーシャン」の一場面のセリフから…
「崖に激突して死ぬツバメがいるそうだ…
そのツバメは得てして他のツバメよりもとても上手にエサを捕獲したりするのだが…
宙返りの角度の危険の限界を親ツバメから教わっていないため つい 無謀な角度で飛行してしまう
だが その親は教えないのではなく そのまた親から教わっていないので教えられないのだ
彼ら一族は短命な者が多く なぜ事故にあいやすいのか気づいてさえもいない
―プッチ神父」

AQUA MIXT のレッスンには過去生を扱うものがあります。
→エンジェルワーカー 魂の羅針盤 コース 来春 第2期スタート
その人の人生に必要な過去生を観ていくわけです。
通常のスピリチュアルカウンセリングでもしばしば過去生を観ることがあります。
その過去生で起こったこと、その時の感情は今世でのその人の人生に影響を与えます。
それは幼少期のトラウマとして、巡り逢わせとして、まるで自分の資質のひとつに組み込まれているかのように過去生からの影響が出ることがあります。
過去生での体験を今世でも、ある意味強化づけしていきます。
ああ、わたしはこういう運命なんだ…というように。
過去生で迫害を受けた人たちは、目立つことを無意識レベルで怖れています。


しかしながら、過去生の癖がそうさせるのでしょうか、
不思議と目立つような巡り逢わせが人生に訪れます。
また、過去生で両親を失ったり、離ればなれになった人たちは、
家族を愛し、理想の家族愛を求めます。
しかしながら、同じように、不思議と過去生の呪縛というわけではありませんが、
また、カルマという足かせでもないのですが、家族を持つことを怖れ、
ひとりでいることを望んでしまいます。
表層意識では求めることも無意識レベルで拒んでいるというわけですね。
ですので、その引き寄せる不幸は「やっぱり」という安堵感を感じることもあります。
やっぱり目立つと人の嫉妬を受けてろくなことは無い。
やっぱり家族を持つなんてわたしには無理なんだ。

冒頭のツバメは崖に激突する時、
ああ、やっぱり危険だった…と思うのでしょうか。
それとも何も学ばず、気づかずに激突をくり返す一生が親から子へ、
そして孫へ受け継がれていくのでしょうか。
僕たち人間は人生を選択する力を持っています。
自由意志というものですね。
僕はパートナーシップというものを幼い頃に学ばずに育ったように思います。
愛し、愛されるという素晴らしさを体感として心と記憶に刻まなかったわけですね。
過去生でも似たようなことがあったかもしれません。
その過去生を再び実現させたくて、そしてそれを乗り越えるために、
不仲な両親のもとをわざわざ選んで生まれてこようと思った…と感じています。
人を愛するということ、愛されるということ、
与えるということ、受け取るということ…
すべてが手探りな感覚でした。
しかし、愛し愛される家族を持ちたい!
という今世で体験したい思いがあったのでしょうね。
早々に1度目の結婚をし、パートナーシップを紡ぐことになりました。
しかし、教わっていないパートナーシップを実践することはできず、
パートナーを愛そうと思っても、傷つけてしまい、相手を大切にしようと思えば思うほど、
真逆のことをパートナーにしてしまう始末。
愛しているのに、なぜ、傷つけてしまうのか気づいてさえもいない…わけです。
冒頭の崖に激突するツバメが思ったかどうか知るよしもありませんが、
僕は離婚する時に、ああ、やっぱり僕は家庭なんて持つ人間じゃあないんだ…
不幸であることの安堵感を感じたものです。
離婚するために結婚したわけではありませんが、
無意識レベルでは、過去生と同じように
人生に屈服したかった
のかもしれません。
ああ、やっぱり、僕は不幸でいることがお似合いなんだというわけですね。
過去生からの影響は変えられない、カルマに縛られた人生を生きるんだ、
人生はあらかじめ決まっているのだから、それに抗うのは愚かなことだ、
そのように思って、喪に服す人生を生きることもできました。
しかしながら、荒木飛呂彦著「ジョジョの奇妙な冒険」に流れるテーマは、

「人間賛歌」です。

「人間賛歌は“勇気”の賛歌ッ!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!」
― ウィル・A・ツェペリ男爵

そこに僕たち夫婦がバイブルにする意味があります。
さて、冒頭のツバメと人間が違うところ、あなたはどこだと思いますか?
次回に続く。

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