【店主】刻詠珈琲店のマスター・東儀宗介(とうぎ そうすけ)/元天使メネフィール
大通りから一本入った路地裏に、『刻詠珈琲店』という奇妙な看板を掲げた店がある。重厚な木の扉を押し開けると、そこには想像を絶する光景が広がっているのである。
壁一面に並ぶ古書、持ち主を失った懐中時計や万年筆、そして何より印象的なのは、カウンターの奥でコーヒー豆を挽く店主の姿である。
東儀宗介。三十代半ばの、どこか謎めいた男性である。
色素の薄いアッシュグレーの髪を無造作に束ねた彼は、洗いざらしの白いシャツに黒いエプロンという簡素な装いながら、その佇まいには年齢を超越した何かが漂っている。
客が何を注文しようとも「……どうぞ」の一言で静かにカップを差し出すだけ。まるで言葉を惜しむかのような無口ぶりである。
しかし、である。この店主、ただ者ではないのだ。
常連客の話によると、彼はオラクルカードを使った不思議なアドバイスをくれるのだという。
スピリチュアルな概念を、拍子抜けするほど現実的な例えで説明し、「当たる当たらない」を超えた人生の知恵を授けてくれる。その言葉の端々には、まるで長い年月をかけて人間というものを観察し続けてきたかのような深みがある。
宗介が淹れるコーヒーには、なぜか心を軽くする不思議な力がある。それはきっと、彼が一杯一杯に込める、訪れる人への静かな思いやりなのだろう。
まったく、路地裏には思いもよらぬ賢者が潜んでいるものである。
【常連客】OL小鳥遊紬(たかなし つむぎ)
刻詠珈琲店に足繁く通う常連客の中でも、ひときわ目を引く存在がいる。
小鳥遊紬。二十八歳のグラフィックデザイナーである。
平日の夕方、仕事帰りのオフィスカジュアル姿で現れる彼女は、いつも少し疲れた様子をしている。
しかし、店の扉をくぐり、カウンターに腰を下ろした瞬間、まるで魔法にかかったかのように表情が変わるのである。
普段は気を張って生きているであろう彼女が、ここでだけは素の顔を見せる。
そして始まるのが、紬のマシンガントークである。
「マスター!聞いてくださいよぉ!」
堰を切ったように、その日あった出来事や悩みを一気に吐き出す紬。上司の理不尽な要求、後輩の生意気な態度、クライアントの無茶振り——デザイン業界の荒波に揉まれる日々が、彼女の口から次々と溢れ出す。
対する宗介は、ただ黙って聞いている。「どうぞ……」とコーヒーカップを差し出すだけ。しかし、この絶妙なコンビネーションこそが、この店の魅力なのかもしれない。
最近、紬は店内にあるオラクルカードというものに興味を持ち始めた。
週末の昼にもお店に顔を出すようになり、無口な店主から、カードの引き方や読み方を教わっているのである。
「師匠と弟子」——そんな関係性が、この二人の間には確かに存在している。
真面目で頑張り屋だが、どこか不器用な紬。
彼女が宗介の言葉を通じて、スピリチュアルな世界と現実世界の橋渡しを学んでいく様子は、見ていて微笑ましいものがある。
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