【限定数】潤治の恋愛処方箋☆セキララレッスンの受付が始まりました。
恋愛、男女関係は僕たちにさまざまなことを考えさせ、学びを促します。
自分の氣持ちを感じてみたり、過去の感情を整理したりすることで、新しいコミュニケーションパターンや視点が生まれるでしょう。
恋愛はまた、自己肯定感を否応なく感じさせるものだと僕自身は思います。
自己肯定感が恋愛相手に投影されることも多々あります。
本当に、僕たちはその相手を観て、恋愛をしているのでしょうか?
僕自身は、恋愛を含めて、自己肯定感を人によってさまざまな形で実現しようとするさまがとても興味深く、深めていきたいと思っているところです。
僕が迷走し、混乱し、人を傷つけ、不義理を連発し、不幸者のエリートになって世界に復讐したいと思っていたからでしょうかw。
今もその自己肯定感が危ぶまれると精神的にテンパります。
もしくは迎撃体勢をとります。触るもの皆、傷つけます。
無防備になればなるほど、外界の武装世界にビビります。ずる~い!的な。
無防備さの大切さは常日頃感じているのですが…。
恋愛はわかりやすくこの自己肯定感の飽くなき衝動を見せてくれます。
恋愛にまつわる恥ずかしい過去のひとつやふたつ…、出てきませんか?
にんげんだもの…(と自分の過去を弁護したい)。
僕たちは赤ちゃんの頃から、自己肯定感が命にも関わることを知っています。
13世紀、神聖ローマ帝国での実験の話ですが…。
新生児を50人くらい集めて「言葉を教わらないで育った子供が、どんな言葉を話すのか」というものがありました。
もちろん、ミルクやおむつ替え以外は話しかけたり、目を合わせたり、笑いかけたりせず、ふれあいをとらなかったわけです。
実験結果は衝撃的で、新生児は全員死んでしまうというものでした。
「言葉かけ」「ふれあい」の大切さを僕たちは細胞レベルで感じているかもしれません。(おおげさ?w)
さてさて、自己肯定感を得る手段はさまざまです。
その人の歴史を感じます。
偽りの肯定感を得たいために多額のお金を払う人もいるし、名誉や地位をかける人もいます。
しかし、一時の肯定感も偽りであれば、乾き続けます。
だから、夜のカウンセラーのお姉ちゃんたちにたくさん納金される方もいらっしゃるわけですね。
それはまた、甘いもの食べて、喉が乾くような感じと似ていますね。
ああ、でも、その一時の肯定感でもいいから、欲しがってしまうのが僕たちではないでしょうか?
特に僕の場合、恋愛で感じることが多く…。
「嘘でも良いから、抱きしめて。」
「分かっているから。奥さんのことを好きでも良いから、今夜はわたしのものでいて。」
「今日、指輪外してくれてるんだ…。」
「帰らないで。朝まで一緒にいて。」
「ベットにあなたの匂いが残っていたよ。」
「ねぇ、背中に爪痕を残してもいい?」
ああ、恋愛は赤ちゃんの感覚に戻れますねw。
剥き出しの欲求を思います。
抱きしめて欲しい、触れたい、匂い嗅ぎたい、お口で感じたい、すりすりしたいなどね。
そして、悲しいことに…
自分がこの世に存在していることを感じたいために、
否定的なものも受け容れる時があります。
無視されるくらいなら、どんな働きかけでも良いから欲しい…ということですね。
どんなものがあるかというと…。
身体的な暴力、精神的な暴力、ダメ出し、文句、批判や中傷…など。
程度の大小はありますが、それで成り立っている男女関係もあります。
存在を無視されるよりは、たとえ否定されていても、受け容れるということでしょうか。
小学生の頃、悪さして先生に怒られるのを何だか嬉しかったのを覚えています。
「先生、オレに注目しているし、クラスのみんなも注目しているぅ!きゃっほー!」
学生の頃、彼女の愛を確かめたくて、急に連絡が取れない状態にして、
慌てふためく彼女に「愛されているなぁ~。」と痛感したことを覚えています(迷惑な男…。)。
彼女の前で泥酔して、病院に運ばれて意識不明が一昼夜続き、意識が戻った時に彼女に怒られた時、「愛されているなぁ~。」とニヤリとしたことは覚えていますが、思い出したくありませんw。
だらしなく、素直になれず、恋愛に「妙な踏み絵」を相手に押し付ける僕でした。
恋愛は時にお互いを無防備にさせるので、この自己肯定感の欲しがるパターンや方法が炙り出されます。
そこがまた素晴らしく、美しい人間模様だなぁと感じます。
自己肯定感を感じるために、どのようなことをしてきたか振り返ってみると、
過去の出来事、その時の言動の理解が深まることがあります。
恋愛処方箋☆セキララレッスン「Sexuality & Relationship」は、あなたのルーツを観ることにもなるでしょう。