あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
AQUA MIXT 潤治です。
お正月、寛子の実家でランチ会を開いていただきました。
いつも娘の小葉を喜んで預かってくれるので足を向けて寝られません。
家庭環境の違うふたりが結婚するといろいろな発見がお互いの実家ではあります。
昨年は「JMAフェスティバル~セルフフォース(自己力)に出会う夏2014~」において、「あなたのためのアサーティブネス(自己主張)」というテーマで夫婦で講演させていただきました。
初開催となる、JMA・ココリラ出版主催の癒しの総合イベントで講演する機会をいただき、本当にありがたい機会でした。
それ以降、アサーティブネスに関するご相談やご質問も増え、
アースエンジェルレッスン4「アサーティブネス」も大好評でした。
テーマとなった「アサーティブネス」、
僕たちなりに提議しているものは、
自分に正直になることで、自分を大切にする、
そしてそれが他人を大切にすることになる
そしてそれが他人を大切にすることになる
ということでです。
自分を大切に、正直に…という言葉だけだと恰好が良いですが、
それはとても日常で試される「人生への姿勢」でもあります。
本当、些細な日常のあらゆるシーンにその姿勢は試されます。
寛子の実家に預けた小葉を迎えにうかがったときのこと。
その日は、新しい白地のトレーナーを着ていた小葉でした。
ペンで紙に落書きすることが最近の楽しみなので、
自由とゆとり空間をかもし出す寛子の実家は小葉にとってはしゃげる場でもあります。
ひとしきり遊びきった感を出している小葉を見るとすぐに胸元に黒いペンのシミがありました。
それを見たとき、寛子がお義母さんに言いました。
「あ~あ、昨日買ったばかりのトレーナー、もう汚しちゃったのね。
ペン遊びをする時はスモック(軽作業用に用いられる上衣の一種)を着させないと。
だから、預ける時の一式の中に入れといておいたのに。」
↑実際のものとは違います。
その言葉を受けて、お義母さんは、
「目を離した隙に、書いちゃったようなのよ。
スモック?そんなの見る暇無かったわ。
今度来る時は、汚れても良い格好でいらっしゃい。」
寛子「買ったばかりのトレーナーだったのよ。落ちるかな?」
お義母さん「まあ、今度から汚れても良い格好でいらっしゃい。」
…と繰り広げられる攻防に僕はドキドキとしていました。
お義母さん、お義父さんに御礼を伝え、寛子とこの攻防の件について話しました。
「さっきの攻防、一触即発でしたねぇ。」と僕。
「え?何が?」と寛子。
「いやいや、トレーナーを汚してしまったくだりよ。見ていてハラハラしちゃった。」
僕の世界で起こっていたことは、
寛子の「ああ、トレーナー汚しちゃったのね」左ジャブ、
「スモック着させないとぉ!」連打、
「スモック、入れておいたのに!」右ストレート…
という他責コンビネーションという一触即発の事態です。
それに応戦するお義母さんの
「汚れても良い服でいらっしゃいのカウンター2発」という感じでしょうか。
それを寛子に伝えると、一笑。
「あの人、あれでわたしに責められたとか思っていないよ。
わたしも汚れたのは仕方ないと思っているけど、残念な気持ちを伝えただけだもの。」
「ええ?そうなの?それだけ?」と驚愕する僕でした。
寛子との日常で勃発するこの「事実の共有」だけという感覚は、
僕の育ってきた環境には無かったように思います。
「汚しちゃったのね?」と言われればすぐに責任回避モードが発動しそうです。
「だって、小葉が勝手に…」とか。
「スモック着させないと!」と言われれば、責められていると感じるでしょう。
スモックを着させない潤治は極悪人である、よって処刑!
「スモックいれておいたのに!」と言われれば、贖罪モードか迎撃モードに突入かもしれません。
贖罪モードなら、後日新しいトレーナーを秘密で買ってくるでしょう。
そして、寛子はこう言うでしょう。
「このトレーナー、趣味悪いよ。小葉に似合わない。」
そして、僕は途方に暮れるでしょう。
また、迎撃モードなら、「入れておいたスモック、分かりづらかったよ!
今度からわかりやすいところに入れておいてよ!」
「寛子、あなたもこの罰を一緒に受けるべきよ!」というメッセージを込めることになるでしょう。
どうでしょう?
面倒臭いですね。ノンアサーティブな世界は。
人生を複雑にして絶叫系のテーマパークにでもしているかのようです。
カウンセラーの能力に必要な「言外にある主訴を見つける力」は、
僕の場合、日常においては暴走しがちです。
自分の思いの丈を臆せずに伝える姿勢を今なお、僕は学んでいます。
嫌われたくないからという理由で我慢や無理、遠慮をしているとしたら、
好かれることはないでしょう。
自分自身の本当の気持ちを隠しているのですから。
好かれることはないでしょう。
自分自身の本当の気持ちを隠しているのですから。
自分自身にアサーティブだろうか?
自分に嘘をついていないだろうか?
等身大の自分で好かれることに自信はないの?
いつもながら、勝手読みの独り相撲の自分を感じるわけです。
昔よりもその対応ができるようになっただけで、
その心の揺らめき癖?は健在です。
絶叫系のテーマパークの住民から、
植物園のような穏やかな世界の住民になりたいと思います。
今年は、アースエンジェルレッスン4「アサーティブネス」の再開、
「アサーティブネス」を扱ったライフパーパス個人レッスン行動編~発展編などもご活用いただければ幸いです。