いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
昨日はクリスマスということで寛子の実家に集まって食事をしました。
いつもお世話をしてくれるので小葉にとってはリラックス空間です。
泣く小葉を「泣いて愚図る姿も、何をしても可愛いわねぇ」と言って預かってくれるお義母さんのおかげで僕たちの仕事が成り立っています。
一時保育を数回利用しましたが、預ける僕たちの気持ちのざわつきを思うと身内に見てもらいたいという気持ちに今のところ帰着しています。
僕の実母も近所にひとり暮らしという奇跡的な状況も、こういうシチュエーションを小葉は選んで生まれてきたんだろうと感じています。
子どもは親の状況を選んで産まれてくるということでしょうか。
親の僕たちがそのことで自責や葛藤をするなんて子どもは望んでいないでしょう。
あるママはお母さんが仕事で忙しくてゴメンねと自分を責めるかもしれません。
仕事にかまけてあなたを大切にしてないのでは?と自己嫌悪に陥るかもしれません。
欲しいものを与えられなくて、望む通りにしてあげられなくてと
他の家庭と比べて自分を卑下するかもしれません。
子どもはその親を選んで生まれてきますから、
その親が自分を受容しなければ子どもは困惑するのだろうと感じます。
このわたしを選んでくれたのね、ありがとう という前に
こんなわたしでごめんなさい と伝えてしまう価値観を痛々しく思うこともあります。
その価値観、観念は僕の中にもあり、罪悪感を愛の言動力にしている自分もいます。
「きみに僕は何をしてあげられているのだろうか?」
「僕はきみに何もしてあげられていないのではないだろうか?」
そのような罪悪感を背負わせるために、子どもは僕たちを選ぶわけはないと思います。
罪悪感は人を迷わせます。自信を失わせます。
また、それを植え付けることで人をコントロールすることもできます。
生まれながらに罪を背負っているという考え方もあります。
それを聞いて心は何を思いますか?
偽りのない自分の心を指針にすることは勇気のいることです。
完全に自分を頼ることになりますからね。
それは自分の人生の責任を背負う覚悟にもなります。
しかし、それこそが自由と言えるのかもしれません。
心に宿っている「愛」を指針に生きることはとてもシンプルです。
エンジェルワーカー 魂の羅針盤コース では、多角的にスピリチュアリティを観ていきます。
それこそが精神性や霊性を上げ、「愛」を指針に生きることを可能にしていくと感じています。
神の名は無意味。世界にとってほんとうの神は愛なのだ。
―アパッチ族の言葉
―アパッチ族の言葉
宗教はひとつのこらず神のもとに帰るための足がかりにすぎない。
―パウニー族の言葉