こんばんは AQUA MIXTの寛子です。
度たび書いていますが、私の守護天使(かなり大きい男性)はとても厳しい・・・
「なんでそんなに、コワイ天使が後ろにいるの~」と友人に言われたことも。
でもお蔭さまで彼の指令の元、泣きながら自分の一番辛い経験「夜明けのレッスン」を書きました。
これもまた、近々再開予定です。ぅぅっプレッシャーが・笑
世の中のいろいろなタブーについて考える機会が多く、これについても私の守護天使くんは「書くように」と言っています。
かわるがわる来るメッセージの中なかなか行動せずにいた私の前に、潤治が昨日図書館から借りてきた「いのちの食べかた」という本が。
腹をくくるきっかけになりました。
私は半年近く、「あの体験談を書きなさい」というメッセージをかわるがわる貰っていました。
けれども無意識にタブーに触れることを、恐れていたようです。
それは、12月に参加した「“命を食べる”人生ワークショップ」の体験談です。
私が現在なぜ菜食主義であるかについて、上の記事で書いています。
しかし、参加後に体験談を書いていませんでした。貴重な体験をさせていただきましたので、これから何回かに分けて書かせていただきますね。
「13の月の暦」提唱者のホゼ・アグエアス博士も、人工的な時間を生きる私たちが盗まれている・隠されている力が4つあると言います。
それ4つの力は「豊かさ、スピリチュアリティ、性、死」、
それらは権威により「先進国の物質主義・お金至上主義、偽りのスピリチュアリティ、性のタブー、死の恐れ」とという偽りになっているのです。
今回は「死」について「いのちをたべる」をテーマに書かせていただきます。
先ほど紹介しました「いのちの食べかた」という本。
これはどうやら子供向けに書かれたようで、表現がとてもわかりやすく、しかし本質を、タブーとされてマスコミには取り上げられない真実を知ることをテーマに書かれています。
著者 森達也さんが、テレビディレクターとしての経験からの話も、説得力があります。
前半は主に「人類と日本人の肉食の歴史」について語られています。
ここでは、ある疑問がテーマになります。
魚は、食卓に上がるまでの過程をイメージ出来る方も多いでしょう。
魚をさばくシーンも、見たことがある。あるいは、自分でさばく。
マグロの解体ショーなんて、人気がありますものね。TVでみんなが喜んでいるのを、見た記憶があります。
けれども、牛や豚の解体って・・・一体?!
小学時代の私は、養豚場のそばで暮していたことがあります。同級生に養豚場の息子、牧場の息子(←寛子の初恋の相手・笑)もいましたから、遊びに行ったこともあります。養鶏場もたくさんあり、産みたて卵を買っていました。
けれども、お店に部位ごとに並ぶ肉になるまでの過程は、知りませんでした。
どうやらほとんどの人が、知らないようです。
何故、知られていないのか?
それは、日本人の「穢れ」「不浄」の思想に影響されています。
動物をむやみに殺してはいけないとする仏教の教えと、すべてのものに神様が宿るという日本古来のアニミズムなどがミックスされて、牛や豚など(四つ足)動物の肉食は、汚らわしい行為なのだという意識が根底にあるからです。
そういえば、大学時代に「日本トルコ学生会議」の実行委員会としてトルコに1ヶ月ほど滞在しました。
私はお祭りの現場はみていないのですが、祭りの日に神聖な生贄として羊を解体する儀式があり、写真をたくさんトルコ人の友人から見せられた記憶がありました。
感覚がずいぶん違うのだと、実感したものです。
この本では、実際に東京で消費される牛・豚の肉がどこでどのように解体されるのかが、事細かにかかれています。
けれども、マスコミもこの現場を取り上げることはしません。
日本古来の「穢れ」の思想から生まれた差別「部落問題」は、今もなお、残っているからです。
今回は「部落問題」について語るつもりはありませんので、興味のある方はこの「いのちの食べかた」や島崎藤村の「破戒」を読んで下さいね。
「知らないことに対する責任」
「だまされることについての責任」
この2つが、とても印象的な本でした。
AQUA MIXTでもよくテーマにしてお話している(けれどもタブーが多くてブログではあまり書かれていません・・・)食や環境、健康、経済、教育の問題は、私たち一人一人の責任でもあるのです。
さて前置きが長くなりましたがの本に背中を押されて、それからこの話をシェアした時に、是非書いてほしいとおっしゃって下さった何人もの方に背中を押されて、12月に参加した「“命を食べる”人生ワークショップ」のお話に移っていきます。
このワークショップの内容は「鶏を絞めて、さばいて、いただく」
開催にあたって、主催のウッチーから聞いた話は周りの反応は「賛否両論」とのことでした。
「そんな残酷なこと・・・」という意見だったり。
けれども、残酷なこと・・・というその人も、毎日のようにお肉をいただいているわけですよね。
だれかが絞めて、さばいたお肉が食卓にのぼっているのは、事実なのです。
私たちは、いのちを毎日いただいているのです。
タブーに直面するような思いで、否の意見の話を聞いていました。
私自身はベジタリアンだからと最初は遠慮していたのですが、自分が行く必要があることを感じて親友を誘って一緒に参加しました。
ベジタリアンになる前の私は、とても愛しく感じるほど鶏肉が大好きでした・笑
今までの愛を感謝を鶏たちに伝えて、美味しくいただこう、と決意したのでした。