批評家の言うことを伺って幸せになれる?

人生を歩む上で…

そう言うと大げさなように思いますが、日常生活において「決める」「選択する」について、思うところはありますか?

それは人間関係や仕事、異性関係、健康などにわたるのではないでしょうか。

常に、選択し続けなければならないわけです。

誰かに決めてもらったり、決まっているレールを歩むことのほうが精神的な負担は少ないように僕自身の人生をふりかえった時に思います。

ややもすれば、慣れているそのパターンに自分を置いてしまいそうになります。

今、娘の幼児園にて、娘が最終学年ということもあり、保護者はいろいろな係を仰せつかります。

任意といいながら強制力のあるものですね。
小学校・中学校ならPTAなどの役員がそうでしょうか。

僕自身は謝恩会のリーダーをさせてもらっています。

謝恩会…。
お世話になった先生に感謝を伝える会、ですね。

数名の保護者とともに、係の仕事をしていきます。
いきなり、結構な仕事量をこなさなければならないし、他の保護者との意見や価値観、進め方の調整をしていくわけで、たいへんです。

保護者の中には、係を辞めてしまうという人も歴代にはあったそうです。
または、保護者同士がもめてしまうという事態も。

ですので、

今、係内の皆さんに了承をいただき、僕ひとりで謝恩会で流すムービーをせこせこと作っている時の幸せたるや。
ひとりで何でもやりたいんじゃぁ!(個人事業主の癖かもしれません)
でも係全体の仕事量を考えるとひとりでは限界があります。

批評するのは簡単で、評価を受ける側は勇氣が要る

さて、各保護者がいろいろな係をするのですが、
その係に対する外野からの意見や批判、やや中傷に近いことも受けることがあります。

狭い虫かごに入れられた多数のカマキリが共食いするようなイメージでしょうか。
自分の世界が狭いと感じてしまうとそうなりがちです。

自分がすすんで入ったわけではない檻の中で生かされる時、
傍にいる者を傷つけたくなるのかもしれません。

さて、係の仕事を進めていく時、「決める」「選択する」ことが多々あります。

それを外野から無責任な意見をする人もいます。
―人間って素晴らしいですね。

多くの保護者はそこで、「周りから何を言われるか」で腰が引けてしまうようです。
つまり、係の責任を取ることをおそれて,取り組み方が消極的になるわけですね。

そうこうしているうちに「多数決」「周りにお伺い」と係の責任を「周りが納得する方向で」とすり替えて、本末転倒なノリになっていきます。

もう、まどろこしいの極みです。

「ああ、良かった、リーダーやってて」と思います。

謝恩会の係のママさんたちには、

「最終的にリーダーの意向で決めています。」
「ご意見ありがとう、リーダーに伝えておきます。」

と外圧を交わしていただくようにお願いしています。

無責任で騒がしい少数派(ノイジーマイノリティ)の影響で、自分の選択を躊躇してしまうなんてこと、本当に自分が可哀想な行為だなぁと僕自身は思います。

世界は常に選択の連続… 自己価値との対面

昔、お世話になったメンターに、

「意見や批判を水本くんに言ってくる人が、水本くんの人生の責任を負ってくれる人はひとりもいないよ。」

と教えてもらい、結局、関係のない人に人生の舵を取られることの愚かさを思い、「決めること」「選択する」ことの楽しさとドキドキ感を味わう人生を歩んでいます。

まあ、受動的になって責任転嫁し続ける人生も悪くはないけども、今世でそれを選ぶことはないなぁと思っています。

あなた自身は、周りにいるノイジーマイノリティの声に耳を傾けますか?

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