いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

AQUA MIXT 潤治です。
今回の新月も僕たちの周りではたくさんの
「終わりと始まり」がありました。
パートナーシップ、家族の調和、食生活、お金との付き合い方、
仕事、過去の癒し…
などなど、その日常の小さなサインに気づけるかどうかで人生は如何様にも見えることでしょう。
若かりし頃、退屈な日常の繰り返しと虚無を気取ったりもしていましたが、単なる「逆ええ格好しい」と顧みて思います。
いかに日常に溢れる小さなサインに耳を傾けることができるかは、
僕の人生のバランスを保ち続けます。
天使の導きも仄かなな囁きのように聞こえる時があ
ります。
「これ、やってみようかな?」
「こっちのほうが素敵かしら?」
「何だかワクワクするなぁ。」
「ひょっとして好きなのかも?」
積極的に人生を変えていこうと思う時に聞こえてくる声は
とても仄かなものであることが多いように思いま
す。
それを引き留めようとする僕たちの「不安や怖れ」は、
「やってみてどうするの?意味あるの?」「どっちでも同じじゃないか?安いほうでいいだろう?」「何、舞い上がっているの?冷静になれ、大人になれ!」「好きとかで選ぶほど、世の中は甘くないよ。」
と言って、僕たちの「偽良識ある大人」を目覚めさせるでしょう。
「そうだよね、意味ないよね。」
「自分勝手だよね、わがままだよね。」
「周りの人に迷惑をかけてしまうよね。」
「今からじゃ、遅いよね。」
「何しているんだか。」
と自分で自分に制限をかけるかもしれません。
その人のなんとなく感じる「直感」を大切にするために、
僕たちのスピリチュアルカウンセリングもあるかと思います。
「KY(空気を読んでいない)」なものもあるかと僕は思います。
極端に僕が怖がりだから、そう思えるのかもしれませんが、
多くのご相談にもあるので、僕の気のせいではないようです。
その「人間的視点におけるKYな天使の導き」とは、
人生の目的を生きようと決断したら、会社からリストラされた。
自分本位に生きようと決断したら、周りから責められた。
下した決断に家族や友人が猛反対してくる。
辞めようとした会社から、条件の良い待遇を呈示された。
相手を許そうとした時に限って、許せない出来事が起こる。
また、病気、離婚、などもKYな導きと言えるでしょうか。
変化しようと思った矢先に起こるハプニングです。
え、やっぱりそうしなかったほうが良かったのか?
と天使の導きに猜疑心が湧き起こってくるでしょうね。
僕たちは間違っている自分を探して、
「やっぱりねぇ~間違っていたよね。」
「いやいや、天使の導きは無しで。」
「勘違いでした!
スピリチュアルに傾倒してしまいました!」
と自分を信じて前に進むよりも、安堵したいのかもしれません。
だって、そのほうが楽ですから。
イソップ物語に出てくる「狐と葡萄」の狐のように、手の届かない葡萄を見て、
「あの葡萄は酸っぱいに決まっている。」
と言い捨ててしまうかもしれません。
心理学ではこれを「合理化」と呼んでいます。
または過去記事
さて、天使のKYな導きにおののき、
合理化や猜疑心で自らの「直感」を無きものにすることはよくあることです。
それをその導きと信頼し、
自分は間違っていなかった。
逆にいい予感がする。
導きに委ねてみよう。
勇気ある自分に労いを。
と思えるかどうかは大切なポイントです。
猜疑心を乗り越え、人生を信頼する強さは
日頃の「天使との対話」の多さでしょう。
オラクルカードセラピスト養成講座「中級」では、
21日間のセルフリーディングフォローを個別に対応しています。
毎日、僕とメールのやりとりをして、
天使の声を聞き取り、質問力を駆使し、対話していきます。
天使と対話し、それを行動に起こし続けることが、
「なんとなくの直感」を「確信」に変えます。
KYに見えた天使の導きは、
僕たち自身の人生への不信感なのかもしれません。
穏やかな、ワクワクとした日々を。
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