静かに自分の人生を愛す

こんばんは、潤治です夜
ここ聖ヶ丘の近所で、今夜は町内のお祭りがあります。
子供たちがはしゃいでいるのを見るとこちらまで、嬉しくなります。
無邪気な笑顔に癒されます…。
対面セッションを通して、聖ヶ丘に来られた方々に教えられることはとても多いです。
その共有する教え、気づきにいつも励まされることが多いのです。
そのひとつに、「静かな勇気」 というものがあります。
目標や課題を皆さま、持っていますが、それを「やりきるぞ!」 とか、 「頑張るぞ!」 といった自分を鼓舞するようなことを言うことがないといつも感じています。
僕の前で、「私は○○を年内にやり遂げますッ!」 と宣誓する人もいません。
人が何かに向かって、前進する時、変化を受け入れる時に、必要なのは、熱くない、自分に偽りのプレッシャーをかけない、静かな勇気だと思います。
赤い炎ではなく…、青い炎というのでしょうか…。


僕は、サラリーマンを辞め、ライフワークを模索する中、個人として仕事をする時に、目標設定という言葉をよく聞きました。
目標というものを、いつも誰から与えられていた僕は、自分の中から出てくる
「僕はどうなりたいの?」
「何を僕は実現させたいの?」
という問いが苦しくて仕方がありませんでした…。
それこそ、人生をどう生きたいか…なんて、いきなり考えるっていっても…という状況でした。
直感的には、ぼんやりと見える 「こうなりたい自分像」 はあるけれど…。
それを直視するのは、面倒で、何か心がざわつき、不安なものでした。
その不安をコントロールするかのように、目標設定をし出します。
「いつまでに○○を達成します!」 「○○までに、年収○○万円になります!」
そんな目標設定をしては、声をあげて、エイエイオー と自分を鼓舞して頑張っていました。
目に見える場所に紙に書いて、貼っておいたりすることもありました。
エイエイオーと掛け声をあげている自分の心の中に、
「どうせ、無理…」 とか、「面倒くさい」 といったもうひとりの自分がいることに気づきます。
結果は、もうひとりの僕の思いがそのまま現実になります…。
いつしか、目標を立てるということが、怖いことだと思うようになりました。
挫折する怖さのようなものです。
よくよく考えてみると、それまでの目標設定というものは、
やりたくないものをどう達成するか…
を自分のモチベーションをあげて、取り組むことが多かったです。
心の底では、本当にやりたいと思っていないのだから、
それは苦しい目標達成の道のりです。
ゴールした時の達成感で、何とかモチベーションをあげようと思いますが、
自分の中の葛藤が大きくなるばかりです。
僕の目標設定は、自分がどう思うかではなく、他人や世間から見て、
りっぱだとか、かっこいいとか、見返すことができるとか、恥ずかしくないとか、
そんなことを基準にしていました。
もう、入り口から違うんですね…。
達成することが大切で、なぜ、達成させたいのか…という「思い」の部分が
いまいち、明確ではなかったように思います。
「思い」 を自分の中に見つければ、あとはそれが実現していくことを感じています。
「思い」 が、事象として現れていくだけなんだなぁ…と。
好きな彼女ができたら、好きって気持ちだけで、いろいろなことを実現させていったものなぁ…
「僕は一生懸命、君のことを愛す!」 なんて、宣言しなかったなぁ…
静かに、人を愛すように、静かに自分の人生を愛していく。
好きな人と一緒にいろいろなことを経験していくことはとても楽しいことです。
好きな人とだから、ほんの少し勇気をだして、いろんなことに挑戦したり、学んだり…。
そこには、モチベーションをあげる…なんてことはなく、好きな人とだから、
勇気が湧いてくる。
静かなる勇気が湧いてくる。
人生を愛するということは、そんなことなのかもしれないと大音響のお祭りの音の中で思う潤治なのでした…。

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