この世の価値観は半分だけ正しい【前編】

ハッピーライフ

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
感情の役割
AQUA MIXT 潤治です。
僕たちの心の中にはいろいろな定型文があります。
・他人に迷惑をかけてはいけない
・自分でできることはできるだけ自分でやる
・泣くことは弱いこと
・怒ってはいけない
・人を傷つけるようなことはしてはいけない

特に人間関係において親から子へ伝わった定型文は少なくありません。
幼少期、親が言うことを無条件に受け容れることが僕たちにはあります。
全てが間違いでも、そして正解でもありませんが、
その定型文が僕たちの心の中心にあり続けて、
僕たちの行動規範を作り上げることがあります。
「人を傷つけるようなことはしてはいけない」
誰もがうなづく言葉のように思えますが、
人を傷つけずに生きていくことはできるでしょうか?

ひょっとしたら、そうしないように生きようとすることで、そうしている自分を見ないようにしていることがあるかもしれません。
僕がこうしてブログを書くことで、誰かの指針や気づきになることもあれば、誰かの心を刺激し、反応させ、傷つけてしまっていることもあるでしょう。

セラピストとして成功・安定しているお二人に嫉妬もあったかと思います。
人を癒やす仕事は私の夢です。
それをすでに確立していらっしゃるお二人に 情けなくてダメな自分を見せたくなかったのかもしれません。あとは 潤治先生から選ばれてお子さままでいる寛子先生が羨ましいから 近付かないようにしていたのもあるかと思います。
私が置かれていた状況は 寛子先生の場所とは対局です。
幸せいっぱいな寛子先生を直視したくなかったのかもしれません。
違和感を認めてしまえば 振り出しに戻らなきゃいけませんから それも怖かったのかもしれません。

(Yさま 女性)

ある人には良薬のような気づきも、ある人には痛みを伴うものになったり、
現状や過去の痛みを刺激することにもなります。

人に迷惑をかけないように、人を傷つけないように、
心がけていると、または頑張ったり、自分に試練のように課してしまっていると、
僕たちはあたかもそれらをしていないかのように振る舞うことがあります。
そのような自分自身を認めたくないという気持ちからでしょうか。
そうしないように頑張ってきたのですから当然ですね。
さまざまな価値観があり、その価値観を大切にして生きてきた人がいる。
または、縛られてきた人がいる。
自分が気づかない内に、その価値観に足を踏み込んでしまうことがあります。
そして、その人を傷つけるという形を取るかもしれませんね。
人を傷つけている自分を認めたくないために自分を正当化しようとする自分もいます。
のしかかってくる重さに耐えられないからでしょうか。
その重さ、つまりは罪悪感ですね。
または、自分が間違っているのかもしれないと認める怖さです。
この世の価値観は半分だけ正しいということに
必要以上に怖れることはありません。
そう思いませんか?
ですので、声高に自分の価値観を正しいと叫ぶ必要はないと思います。
まるで迷い子のキツネリスのように。
大切なのは、その価値観は許されているということでしょうか。
僕の価値観は許されていて、
半分だけ正ししく、もう半分は誰かに委ねられていることを心に刻んでいきたいと思います。
たくさんの思いに支えられながら生かされていると彼女のシェアに感じるのでした。

mailありがとうございました。
ひとりでいろいろ考えてみました。
最初に感じた違和感に従えなかったのはなぜだろう?って ちょっと振り返ってみました。
彼とお別れをして 傷つけられて 仕事もあまり納得できるお給料ではなくて…。
そんな中で何かひとつはうまく行かせたいって思ったのかなぁって思います。
違和感を感じて 最初に思い浮かんだのは 潤治先生と寛子先生でした。
「お二人なら こういう考え方はきっとしない。」
すぐにそう感じました。
けれど 心に引っかかっていながら お二人に直接確かめなかったのは いくつか理由があると感じます。
ひとつは お金がかかるのを避けたかった。
毎月自由に使えるお金が限られていましたから 優先順位でどうしてもあとに追いやられました。
もうひとつは セラピストとして成功・安定しているお二人に嫉妬もあったかと思います。
人を癒やす仕事は私の夢です。それをすでに確立していらっしゃるお二人に 情けなくてダメな自分を見せたくなかったのかもしれません。
あとは 潤治先生から選ばれてお子さままでいる寛子先生が羨ましいから 近付かないようにしていたのもあるかと思います。
私が置かれていた状況は 寛子先生の場所とは対局です。
幸せいっぱいな寛子先生を直視したくなかったのかもしれません。
違和感を認めてしまえば 振り出しに戻らなきゃいけませんから それも怖かったのかもしれません。
彼と別れて 真っ暗闇で 何か一つでも光が射して欲しかった。
何か一つでも成功して欲しかった。
だから 違和感を感じつつも 認められずにいたのかなと思います。
自分の弱さを痛感しました。
セミナーに行かないと決めたら ほっとして心がとっても自由になりました。
ずっと悩んでいたので なんだか安心しました。
違和感に従うことは 怖いことなのかもなぁって思います。
パートナーに違和感を感じつつも 結婚生活を続ける人の気持ちがほんのりわかった気がします。
違和感に従うなんて 怖いです。
ごまかしながら 集団や家庭の中にいた方が楽ですから。
ひとりを感じながらいるより ずっと楽なんじゃないかって感じます。
違和感もあり自分にとってのメリットもある。
それが葛藤し続ける…。
メリットを取りたくなる気持ちが 今回の出来事を通してよくわかりました。
彼もこんな葛藤を感じ続けているのかな…と思いました。
今の私に自覚できることは このくらいですが…。
(Yさま 女性)

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