ネット社会でのコミュニケーション「人格か情報か そこに温度感じる?」

潤治の徒然草
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
「パートナーと紡ぐ、スピリチュアルな学び」以外に、天使と関わる仕事をしている方々が交代で執筆するリレーエッセイ「天使の旋律」7月度を潤治が担当します。
癒しのポータルサイト:COCORiLA (ココリラ)
執筆者が次の執筆者へのお題を指定するという形式となります。
今回、僕へのお題は「ネット社会でのコミュニケーションについて天使からのアドバイス」です。
喧嘩やめて、仲良くしてね
パソコンやスマートフォンが家電のような扱いとなり、誰もが手にし、
当たり前のようにネット社会が広がっていきました。
今から20年以上前、ポケベルを持つ彼女に「0833 オヤスミ、0906 オクレル」と
電話BOXから打ち込んでいたことが懐かしいかぎりです。
また、当時のドラマにありがちだった「電話や行き違いによる待ちぼうけ」
というシーンも今ではあり得ないことかもしれません。
雨の中、今か今かと待ち続ける時の気持ちは今でも切なくなりますが、
今では、メール1通で済みます。
携帯を持ち始めた頃、
メールを送った後に「今のメール、届いた?」
メールをしてウザがられたことも、

→何回もこれやっちゃいました。 紙飛行機が飛んでくヤツね。

パソコンで怪しいサイトを開いた途端、

閉じても閉じてもウィンドウが無限に開き続けるという憂き目に遭ったことも、

→昭和生まれ男性なら…あるでしょう?

メールで別れ話を切り出されて戸惑ったことも、

→別れ話はメールで完結しました…。

長文メールで怒りを吐露されたことも、

→スクロールして続きを読むのが怖いくらい相手の豹変に震えました。

今となっては懐かしい思い出です。

ネット社会では、気の合う人と簡単につながることができます。
そして、気の合わない人と出逢わせた神さまの配剤に思いを馳せずに、
すぐに人間関係をリセットすることも可能です。
ひょっとしたら、その出逢いによって
炙り出される自分の感情に学びがあるかもしれません。
しかし、その一旦落ちこむ感じを経験するくらいなら、
衝突がなく、解り合える人との触れ合いのほうが楽ということでしょうか。
面倒臭いわけです。
しかし、面倒でもお互いをすり合わせすることで
いろいろな誤解や性格の不一致を乗り越えて深い理解となります。
結婚が修行という言われる所以はここにあるように思います。
言い合いや傷つけ合うこともあるだろうと思います。
相手を傷つけるような言葉を投げた自分に凹むこともあるでしょう。
相手の傷つくような言葉に怒りを覚えることもあるでしょう。
ありのままのわたしは誰も傷つけない、はず?でしょうか。
僕たちが人間として魂を研磨させるために、人との傷つけあいは必要です。
傷つけ合うことが果たして悪いことでしょうか?

魂は磨かれる時を待っています。
たくさんの傷や修復が魂を磨いていきます。

相手との間に起こった誤解や衝突を乗り越えて理解し合う時、
相手を傷つけてしまったことを真摯に謝る時、
傷ついた自分の気持ちや弱さを素直に分かち合う時、

―自分も相手も何を求めているのかが分かります。

少年漫画で喧嘩して殴り合った男同士が空を見上げて、
「おまえ、イイやつだな?」
「俺こそ、誤解していたよ。ゴメンな。」
というノリでなくても、伝えきったり、言い合いきったり、傷つけきったりと、
そのプロセスを終了すると、自ずと慈しみや深い理解が生まれるように思います。
そこまで付き合ってくれる人がいない
そこまで自分をさらけだすことがない
そこまでの覚悟も責任も感じたくない
といったこともネット社会の便利さの弊害かもしれません。
そのようなことをしなくても、深い理解をしたような気になれますから。
家族や身内は良い意味で顔を突き合わさなければいけませんから、
ネット社会の弊害が起こりにくいと感じます。
3.11以降、家族を大切するという価値観が流行りましたが、
衝突や軋轢、葛藤を含めて身内や家族を大切にできるかどうかは、
各人の動機や目指しているものによると僕自身は思います。
自問することは、
「衝突することを怖れてないだろうか?」
「怒りを悪いことと見なしていないだろうか?」
「傷つけ合うことを悪いことと思っていないだろうか?」
です。
その先にある魂の研磨を信頼したいと思います。
その信頼のためにあなたをサポートするでしょう。
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