こんばんは、潤治です
台風が去り、湿った空気に洗濯物の乾きが気になる潤治です。湿った空気の中でジョギングをすると汗だくのつゆだくになるのですが、それが気持ちよく感じられてスガシカオです。いえ、スガスガシイです。
今年の春先まで、寒かったのでジョギングはあまりせずにいました。
身体がすっかり鈍ってしまい、身体の重さを感じることもしばしばでした。
初夏になり、積極的にジョギングを始め出しましたが、すぐに壁にぶつかります。
やりたくない病、そんなことして意味あるの?病、今更何のため?病…など、
数多くの症状が出てきます。楽しさ半分、悩み半分状態です。
楽しさが上回ったり、悩みのほうが上回ったり、始めた当初は心の中は忙しかったです…。
何かを始める時、その感情から教えられることはとても多いです。
久しぶりにランニング姿に着替え、シューズを履き、表に出た時、
身体の重さに嫌気がしました。
軽く散歩にしておこうか、近くのスーパーに買い物に行こうかと本来の目的ではないことに、
思考は逃げたがります…。
むしろ、そうしたほうが良いかのように
ジョギングをしないことの正当性を声高に叫び出します。
決心して走り出しましたが、身体の重さと呼吸の苦しさに
直ぐに止めてしまいそうになる自分がいました。
しかし、徐々に身体が軽くなり、清々しい気持ちになっていきました。
汗をかく心地よさ、身体と心がひとつになる感覚、部活動をしていた頃の懐かしさ…
結局、そんなことを感じながら、
始めに考えていたコースよりも長めに走り終え、帰宅しました。
そして、始めの数週間はこの心の葛藤が続きました。
葛藤するくらいなら、止めてしまおうと思うこともあり、
ジョギングをしようだなんて思った自分を責めたりもしました…。
これが人に勧められたことなら、その勧めた人のせいにしていたかもしれません。
どうにか責任転嫁をして、罪悪感を減らそうとする自分も心の中に居ます。
しばらくは何も考えずに続けようと決め、1ヶ月が経つ頃…
徐々に走ることに対する意識が変わり始め、
走る前の心の喧騒も静まり、葛藤することもなくなりました。
走る距離も増え、スピードもあがりました。
何より、冒頭でも言ったとおり、走るスガスガシサを感じ、
心と身体に大きな恩恵を与えてくれることに気づきました。
爽快さの前にやってくる落ち込みに、
自分の行動指針をあずけてしまわないように心がけています。
大人になると、簡単に効率の上がる方法を選びがちです。
そういう情報も多いし、それを良しとする価値観も世に広まっているように思えます。
できるだけ、落ち込まずに爽快さを味わおうとする風潮もあります。
しかしながら、爽快さを味わう前の不安や怖れ、
うまくいかない苛立ち、欲求不満から学ぶことは多いです。
・意志の力が育つ
・本当に望んでいるものに気づける
・自分の感情に責任を持てる
・人生を信頼する力が湧く
・責任転嫁をする自分に気づける
…などなど。
ひな鳥が大空に巣立つ時に、始めは下降し、その後に上昇するように
爽快さを感じる前の落ち込みには、
自然界の何か法則が隠されているのかもしれません。
その法則を無視して、一足飛びに上昇だけすることは、
せっかくの学びの機会を素通りしてしまうことになると感じています。
…とジョギングをしながら、思う最近の潤治なのでした。