悟りは現場で起きてるんだ…状態からの

ハッピーライフ

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AQUA MIXT 潤治です。
先日、娘 このは(小葉)の1ヶ月検診に行きました。
産褥期、外出しなくなったために、筋肉に衰えを感じていました。
足を持ち上げようとする大腰筋と腕を肩から上にスムーズに持ち上げる広背筋を動かし、「こいつ、動くぞ!」とひとりごとを言いながら、お世話になった「府中の森 土屋産婦人科」に向かいました。
1ヶ月検診で来られるママたちで産院の中は賑わっていました。
多くの新生児を見る機会は日常にはないので、キョロキョロ見まわしてしまいます。
ベビーカーに乗せて来院しているママさんもいて、
新生児を抱えながら、我が子と1対1で対応するプレッシャー
不安そうにたたずむママさんを見ながら、
男の僕では胃に穴が開くんじゃないだろうか…と思いを巡らせました。


泣いて何を知らせたいんだろうか?
いつまで泣く予定でしょうか?
いつ頃泣く予定ですか?
オムツはいつ頃替えたいとお思いでしょうか?

「今!」を生きている新生児に、
大人の予測や知識は無力であることが多いです。
その場に起きた状況対応力と平常心…は
女性の持つ力のひとつだなと思うことが多いです。
新生児にとってママのぬくもりやおっぱいは絶対的なものだと感じましたし、
その代替えは僕にはできません。
あやしていても、最終的には(時期もありますが)
ママの抱っこの安心感が僕のそれを陵駕します…。
男女の役割をハッキリと認識する瞬間を感じる機会が増えました。
僕だっておっぱい出したい!
と声には出しませんが、密かに抱っこしている時に思うことも無きにしも非ず。
持ち場を離れて、ママの役割をしようとする僕を、
寛子はたしなめます。
「じゅんちゃんはじゅんちゃんにしかできないことを請け負って。」
泣いている我が娘を見れば、ママがそばにいるのにも関わらず、
すぐに飛んでいってあやしたくなりますし、
抱っこして、いかにも良いパパを演じたくもなります。
そして、娘にとって重要人物になりたいという気持ちもあります。
パパがいないと駄目でしょう?
やっぱりパパが必要でしょう?

という感じでしょうか。
残念ながらw、身の回りの世話は誰にでもできます。
ママにしかできない世話は多いのですが…。
僕があえてしなくても良いことを、しまくってパニクるという始末。
お義母さんも手伝ってくれて、友人は掃除をしに来てくれて、
僕じゃなきゃ駄目なんだ!と
ワンマン社長のように
ならなくていいわけです。
みんながこのは(小葉)を育ててくれます。
可愛さを所有したくなるのですね…。
「コレ、俺の娘!」状態です。
若かりし頃、「コレ、俺の彼女!」と
舞い上がっていたさもしい自分を振り返ります(吐き気が…)。

誰の娘?俺でしょう!と世界の中心で叫びたい状態です。
可愛さを所有せずに、周りの人たちのサポートを上手に受け容れることが、
娘のためでもあるのだと、おむつ替えに慣れた頃に思います。
所有欲求は、するりと僕の心に現れるし、
重要人物になりたいという自尊心はむくむくっと大きくなります。
いっそそんな極小の器の自分から解脱するために、
山にでも籠もりたい気持ちです…。
インドへ旅立ち、悟りを開いて帰ってきたいところです。
でも、その悟りはひょっとしたら、
目の前の現実と対峙することから導かれるかもしれません。
僕の場合、インドで悟っても日常に戻り苦悩し、再度インドへ…、
そして日常に戻り葛藤し、三度インドへ、という
旅費もバカにならない状態になりそうです。
悟りはインドで起きているじゃない、
現場で起きてるんだ!と感じます。
…極小の自分を受け容れながら思うのでした。

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