いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
AQUA MIXT 潤治です。
先日の記事「セラピストに求められるもの なることよりも」の続きになります。
吉田松陰の言葉の引用などがありましたから、さも立派な志を持っているのだろうとお思いになった方もいるでしょうね。
その志は心に秘め、行動がそれを具現化していければいいなと思っています。
志を持つことは大切ですが、
それと同じくらい大切なことは「自分でいること」です。
誰かの真似をして自分を失ったり、
自分らしく生きているというパフォーマンスをわざわざ顕示したり、
自分らしく生きているというパフォーマンスをわざわざ顕示したり、
自己矛盾を隠し、自己欺瞞に陥ったり、
等身大の自分を認めずに虎の威を借る狐状態になったり、
…と自分を偽る機会はするりと僕たちの心に忍び込みますw。
そして、「自分でいること」はリスクを背負います。
他人からどう思われるか?
自己を通して人間関係に波風を立ててしまうのではないか?
我慢してしまったほうが楽なのではないか?
犠牲になることや自分を責めるという安易な道を選びたくなっていないか?
これらを自問し、そして魂が望む行動を起こす時、
それは「心のリスク」を背負うことになります。
なぜなら、それは面倒だからです。
人間関係でも仕事でも夢に関しても、コンフォートゾーンにいたほうが楽だからです。
コンフォートゾーンについて 参考サイト「コンフォートゾーンにいると能力が10分の1に?」
コンフォートゾーンについて 参考サイト「コンフォートゾーンにいると能力が10分の1に?」
僕はこの状態を「勇気は先払い・後悔はリボ払い」と呼んでいます。
自分が自分に尋ねてみます。
「わたしはわたし自身でいるだろうか?」
この時にポジティブが過ぎて、
「わたしはわたしよ!誰が何と言おうとわたし!」
と、意気込みすぎたり、逆にネガティブが過ぎて、
「わたしは本当にわたしだろうか?」と自分探しに出かけたりしないようにしましょう。
その気持ちは分かりますが、
「自分でいること」はどんな自分であろうと受け容れるということになります。
AQUA MIXTのプライベートレッスンでもお伝えすることがありますが、
(ライフパーパスレッスン(個人レッスン)、もうすぐ告知、そして2014年9月より開講します。)
(ライフパーパスレッスン(個人レッスン)、もうすぐ告知、そして2014年9月より開講します。)
自己矛盾を認める
内なる暴力性に気づく
自分の心に潜むハイド氏を受け容れる
内なる暴力性に気づく
自分の心に潜むハイド氏を受け容れる
などが僕が「自分でいること」で心がけていることです。
このリストを見ただけで目を覆いたくなる人もいるかもしれませんね。
僕も書いていてとても恥ずかしいような居心地が悪い気持ちです。
聖人君子のように見られたいというエゴがあるからでしょうか。
どのような自分をも受け容れることが、
どのような人であろうともあなたの目の前にいるその人の内面に
輝きを観ることができると僕は感じます。
どんなに恰好の悪い自分だろうと、情けない自分だろうと受け容れることです。
それは「自分を癒し続ける姿勢」と言えるでしょうか。
その作業を誰かと一緒にできれば最高に幸せでしょうし、
ひとりでもそれをし続けることで同じ視線の人を引き寄せます。
ちょっと話は変わりますが、マヤの叡智では
【イン・ラケシュ】 IN LAK’ECH
私はもうひとりのあなたです。普遍的な愛の法則、哀れみ。
私はもうひとりのあなたです。普遍的な愛の法則、哀れみ。
という言葉があります。
自分以外の全ての創造物にそのような気持ちになるために、
自分の中にあるエゴを解き放つ必要があります。
自分の全てを受け容れることだと僕は感じています。
それを受け容れずに他人を受け容れることができるとしたら、
それはどのような方法や技術なのだろうと思います。自分の全てを受け容れること、それは些細な日常でもできることことで、このエクササイズがセラピストに必要なものだと思います。
内面の穏やかさが外面の平安を創り出す、でしょうか。