相手を責めたい気持ち あぶりだされる感情

理想のパートナー・運命の人
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

AQUA MIXT 潤治です。

癒しのポータルサイト「ココリラ(COCORiLA)」の連載も45回を迎えました。

寛子とのパートナーシップを紡いでいく際に気づいたこと、学んだことを共有させてもらっています。ありがたい機会を通じ、誰かに届く言葉も紡いでいきたいと思います。
娘の小葉がやってきて、パートナーシップはより複雑になりました。
複雑というよりも、より深い理解の機会を体験すると言い換えたほうが良さそうです。
小葉という大切な娘に投影するお互いの感情が、ふたりだと気づけなかったものがあり、
そのおかげでお互いに理解が進むわけです。
しかし、そのためには「相手に自分を見せる」という行為が必要です。
visions
ややもすれば、迷惑をかけたくないという思いで伝えないこともあります。
また、相手が悪いという視点にハマって自分を省みることをしない場合もあります。
正当性を振りかざし、自分も相手も観ずに言葉を紡ぐとしたら、そこに学びは無いかもしれません。
小葉が寛子の実家でクリスマスプレゼントを買って貰うことがありました。
とても良くしていただき、小葉を預かってくれたりとサポートしてもらっています。
ある時、小葉がおもちゃを散らかして遊んでいると、

僕がさも正当な台詞を吐きます。
「おもちゃ、散らかさないの!」
小葉がクーピーペンシルで遊んでいれば、
僕は相変わらず、正当な台詞を吐きます。
「きちんと片付けなさい!」
僕の中で「正当な台詞」は親としての義務を遂行しているという隠れ蓑をまとい、
さらに内省する機会を遠ざけていきます。
寛子はそういう小葉の傍にいて、
優しく声をかけています。
「散らかさないで上手に使おうね。」
「一緒に片付けしましょうね。」
その声かけに妙にイライラする自分が炙り出されていきます。
寛子ったら、甘いよ!結局、きちんと片付けないじゃない?
と僕は思うわけです。
「少しずつ、覚えていくから見守っていようよ。」
「散らかしちゃうのは仕方ないから。」
という寛子にいっそうイライラするわけです。
このイライラが孤独感からやってくることに
僕が気づくのは寛子と一通り理解し合った後です。
(夫婦喧嘩の後、とも言います。)
このイライラはどこからやってくるのか。
小葉に押し付けている本当の感情を観ていきます。
「ああ、こんなおもちゃ、買って貰ったこと無かったな。」
「あまり両親に欲しいものを伝えられなかったな。」
「片付けでよく怒られて、途方に暮れていたことあったな。」
「クーピーペンシルが欲しかったのに、色鉛筆12色だったな。」
「肌色の色鉛筆がなくて、オレンジ色で肌の色塗っていたな。」
「オレンジ色に塗った肌、バカにされたことあったな。」
叱るという正当な言動は、よっぽどの時であり、
その多くは僕の「癒されていない過去」を投影しているだけ
と感じるのです。
ああ、なんて職権乱用…
こうして欲しかったのに、小葉は良いね。
こうしたかったんだよ、本当は。
僕がしてもらえなかったこと、君はしてもらうんだね。
僕は寂しかったし、我慢したし、孤独だったし…。
これらの感情が炙り出されるだけであり、
小葉の一連の行動に、叱られる要素はひとつもないわけです。
これから学んで、繰り返し習得する彼女に親という立場にいることを特権のように感じ、
自分を省みることなく、どこかで聞いたような台詞をぶつけるなんて無意義です。
その無意義さを僕自身で処理しきれず、
寛子を責めたいと思う自分もいるわけです。
ひとりでその無意義さ、癒されていない自分の感情を抱えるのは辛いですから。
そこで、きちんとリクエストすることが大切です。
「(そんな僕を)慰めてくれる?」
この台詞が言えるかどうかによって、僕の過去が癒しに向かうのか、
より強固な正当性を求めて言葉を重ねる無間地獄に向かうのか、
が決まっていきます。
理論武装という魅力ある言葉に心も動きますが、
僕の内面で起こっていることを共有することでパートナーシップはより絆を深めます。
お互いが違う価値観であるからこそ、学びが深まる場合もあります。
そのあたりはまた違う機会に。
小葉のおかげでパートナーシップはより深く、強くなっていきます。
20141225-114755-1
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