自分のトラウマと向き合うために、「今起きているものに注目する」(?)みたいな…感覚に焦点を当ててじっくりと味わう…といった作業をしてみたことがあります。
目を閉じて今、感じている感情に集中しましょう…。ゆっくりと、自然に自分の呼吸に気づいていくように。 …すると…、僕の感情の動きは「怒り」→文字にすると怖い…
父に対する怒りが湧きあがってくるようです。
幼少期の忘れている「痛み」
あっ、痛みと怒りは同義…?か。
痛みを伴う感情を感じていると、ついそれから逃げたくなって
しまう…。
何か、自分を正当化して逃げる大義名分を探してウロウロ。 あっ、向き合わないと…。
そんな時にまた、ユニコーンは現れます自分ひとりで立ち向かえない、トラウマ…。
だから、放置しっぱなし…。
でもでも、ユニコーンが優しく頬を摺り寄せてきます。温かい。 自分のそうした怒りが自分の心を焼き尽くすイメージ…。
怒りという感情は自分を傷つける。痛い。 湧きあがる“過去の負の遺産” どうにか、ユニコーンの励ましをもらって、心の垢をひとつそぎ落とした気持ちでした。 感じて味わって、対峙したら、スッキリして静かな赦しが湧き上がってきました
怒りで焼き尽くされた自分の心の焼けカスが何だか、可哀相で、頑張っていた自分に感謝できるようになりました。 ユニコーンはしばらく、自分のこうした作業に付き合ってくれるようでした。<
続く