僕のことを「セラピスト」と呼んでくださる多くの人たちのおかげで、おうちサロンでセラピストをして18年目!家族の心身の健康をセラピスト視点からサポートしています。
セラピスト顔と家族を前にした顔
おうちでセラピストをしていると、セラピスト顔している僕以外の顔も家族は常に目の当たりにします。
この「セラピスト顔」と「家族を前にした顔」のギャップが大きいとその自己矛盾にセラピスト業は続かないのでは?と思っています。
そのギャップに、もし葛藤を持っているなら、相談者に対して「ありのままのあなたでいいじゃないですか。」という思いを伝えるのは容易じゃないと思います。
ありのままの自分を容認、歓迎できる心持ちかどうかは、セラピーをするうえでとても大切なものだと感じます。
深く相手の話を聴くことができるかどうかにも関わっていきますね。
相手のどんな姿も歓迎できるかどうかは、自分のどんな姿も歓迎しているかに比例すると思います。
喜怒哀楽を受容することの意味
相談者の前でありのままを傾聴し、その時は「セラピスト顔」ができたとしても、その直後にやってくる家族の前での情けない言動に凹むこともしばしばあります。
- 裏返したまま脱ぎ捨てられている服(わざとか?)
- 置きっぱなしのコップ(これは僕に片付けろというメッセージ?)
- 夕方、干しっぱなしの洗濯もの
(取り込み→畳む→しまう→途中でテンパる) - 粗食全開の夕食(家族が各自、好きなものを食べ出す…)
などに対して、イラモヤ、グチグチ、落ち込み に主夫はテンパるどころか、不機嫌になることすら以前はありました。
その感情を抑え込もうなら、ほどなくして、家族に全く違う表出をしてしまいます。相手への「注意・アドバイス・評価」などでしょうか。
「パパの機嫌表」を提示して(冷蔵庫に貼って)、家族の皆さんに今、主夫はこんな感じですとお知らせするようにしています。
おかげさまで、自分の姿をよりハッキリと自覚するようになり、そのどんな姿でも自分なんだなぁと容認→受容→歓迎できるようになりました。心理学では「感情モニタリング」と言われる手法です。
そうなると、機嫌や氣分を害することへの対応もでき、そして、どんな機嫌であろうと、どんな自分であろうと、これが「自分」なんだとすがすがしく思えるようになったわけです。今ではほぼご機嫌の状態で過ごしています。
自分自身が感情によって制限されることなく、自由であるからこそ、他人の自由も尊重でき、喜怒哀楽を適切に表現し、相手の心の荷物を手伸ばしてサポートしていけます。この自由な心の在り方が、セラピストとして成長する道を開いたと感じています。
あなたが求めるセラピスト像
「どんなセラピストにわたし自身は話を聴いて欲しいだろうか?」
これはよく、自分に問いかける文言です。
- いかにもすごい霊能力を持った人?
- 社会的な権威を有している人?
- 何でもお見通しだよ!って言い当ててくる人?
- 海外の大物セラピストと太いパイプがある人?
- 資格をたくさん持っている人?
- いかにも稼いでいます!という人?
- 一緒に泣き、笑い、怒ってくれる人?
- どんな僕でも、僕の味方してくれる人?
あなたはどうでしょう?
どんな人に話を聴いて欲しいと思いますか?
僕のそのひとつの答えが…
自分の好きなことを好きなようにやっていて、幸せな自己満足をして、穏やかな時間を過ごしている人、です。
自分を制限していないので、誰のことも制限しない。
自分を自由にしているので、誰の自由も応援できる。
精神的に身軽なので、利他的になれ、相手の心の荷物に手を差し伸べられる。
というところでしょうか。
大好きなおうちで、多くの大好きな人に囲まれ、セラピストと呼んでもらって応援されて、今、少しはその域に足を踏み入れることができたでしょうか。
これからも、自分自身を認め、他人を歓迎し、受け容れ、カウンセリングサロンは安心と信頼の場として発信していきます。おうちで家族と共に働きながら、多くの人々の心の整理や癒しに貢献していきます。