おはようございます、潤治です
仕事で嫌ッ!て思うときありますか?
少し昔のお話ですが、とても仕事に行くのが嫌だなぁ…と思っていたときがありました。
あるコールセンターでアルバイトをしていた時のお話です。そのコールセンターはテレビを観ている人たちからのお問合せに対応するところでした。“お問合せ” というと聞こえは良いですが、要するに “クレーム処理” です。
「留守番録画していたんですけど…ドラマが半分しか録れていないんです。
何で野球延長しちゃったんですか?どうしてくれるんですか?」
「なんで、真央ちゃん(女子フィギュア選手)だけをもっと映さないんだよ!
至急カメラマンを呼んで!」
「あの占いのおばちゃんを出演さすなよ~不愉快だからさ~!」
「あのドラマの終わり方、納得いかないんですけど!(怒)」
きっと全国から選りすぐりの精鋭たちのクレーム感覚だと思います。
働き始めたときは、電話の向こう側から発せられる怒りの言葉に驚き、精神的にまいりました。初対面の人に罵倒をできる、クレームをする側の人たちの感覚が信じられなく、全く理解不能でした…。
「テレビを観なければいいのに…」
1日数十件のクレームを受けているうちに、「人々の怒り酔い」という状態でしょうか。パンチドランカー状態でした。実際にそのコールセンターでは、精神的にまいってしまう人も多かったです。
「なんでこの人は納得しないんだろう?」
「なんでこの人は常識的なことがわからないんだろう?」
「なんでこの人は怒りをぶつけてくるんだろう?」
心の中は、「~のに!」 と 「なんで~?!」 ばかりでした。
カウンセリングの言葉に、“誰もが完全で間違っている人はいない” とあります。
「ええ~?! 間違っているよ! このクレームおかしい!」 と思っていました。
しかしながら、全国からの怒りを怒りで返したり、こちら側が正しいと押し通したり、お答えできませんとシャッターを閉めてしまったり、どのパターンも僕には精神的に受け入れることが出来ず…
そのまま、同じパターンでクレームを受けていても僕自身の心に障害がでてしまいそうで、かなり追い詰められました。「窮すればすなわち変ず」 ではありませんが、僕は変わる必要があったのです。
「どうしたら、この人のことを理解できるんだろうか?」
この質問を自分にするようななってから、電話応対の質が変わりました。
―先ほどのクレームの続きです。
「ちょっといいですか?どうして、そう思うんですか?」
「だって、そのドラマの最終回、ふたりがきちんとくっついたってわからなきゃ、主人公可哀想じゃん!」
「それはそうですよね、誰が観てもハッピーエンドって感じのほうが良かったんですね?」
「当たり前じゃん!おまえはそう思わないの?」
「う~ん、どうでしょう。あなたはどう思いますか?」
「俺はやっぱりハッピーエンドがいいと思うよ。」
「そうですね…、本当、そうですよね。解りました。担当にはそう伝えておきますね。」
「頼むよ、テレビ好きなんだからさ。よろしくね。」
「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。(テレビ観なくてもイインダヨォ~)」
その現場で “クレーム” とあたかも正しいとつけられた言葉の、違った視点での意味は “理解してほしい叫び” です。そう感じるようになってから、数十件の電話も嫌ではなくなりました。
むしろ、さまざまな価値観をあからさまに出してくる数々の怒りは、僕にとっての勉強の場になりました。怒りという感情を見せてくれる人たちに感謝することすらありました。
感情というものが人に大きく影響し、そこを癒すということの大切さを全国からのクレームで学ぶことが出来ました。それで素敵な施設で働けて、お金までもらえてなんて幸せなんだ…と思っている頃に次のステージへの扉が開きだしたのでした…。
AQUAMIXT のヴィジョンが広がるときでした。
不思議なもので、「嫌ッ!」と思っているとその場に停滞しますが、感謝すると次のステージへ向って背中を押されてしまうようです。正直、そのセンターを辞めるときは後ろ髪を引かれる思いでした。
ちょっと昔のお話でした。