こんにちは、潤治です
先日の音声配信「夫婦トーーク」 では、潤治のコールセンターでの仕事を手放すことについてお話させていただきました。数社の派遣会社が入り込んでいる某テレビ局の視聴者センターでの視聴者からの電話対応はとても大変でした。
通常、コールセンターでは、対話のマニュアルのようなものがあるのですが、視聴者の感情丸出しのクレームにそのマニュアルはあって無いようなものでした。
「視聴者はお客さまではない」 というマニュアルがあり、そのため、謝罪の必要はない…というのが、その視聴者センターの方針でした。どんなに視聴者が怒っていても、「申し訳ございません、すみません」 を言わないで対応するのです。視聴者の怒りは収まらないまま、やがて視聴者対応は、口論、議論へと展開していきます。
※過去のコールセンターの記事はこちら…
対応しているコミュニケーター(電話を受ける人)の中には、
視聴者と喧嘩になり、収拾がつかなくなってしまう人も少なくありませんでした。
視聴者との口論を重ねるごとに、
コミュニケーターたちは心身ともに疲弊していきました。
視聴者の怒りのエネルギーが、自分の外に向かえば
他人への攻撃的態度になったり、人の悪口、噂話などで発散し、
内に向かえば、自傷行為や鬱などで苦しむことになります。
暴飲暴食して、ストレスから太ってしまう人もいます。
そうして、視聴者センターを去っていく人たちを数多く見ました。
音声配信「夫婦トーーク」 で、その仕事を手放すのはとても勇気が必要だったというのも、
視聴者からのクレームの数々があまり苦痛でないどころか、
僕にとっては、そのセンターが、とても居心地の良い空間になっていたからです。
その視聴者センターでコミュニケーターたちの対応を見ていると、
頑なにマニュアルを守り、視聴者には正論で対応していく人、
また、好戦的な視聴者と同じ土俵に乗らず、交わしながら対応していく人、
視聴者が怒りを通して何を求めているのかをリラックスして対応していく人、
…と何パターンかにその対応は分かれます。
その現場で “クレーム” とあたかも正しいとつけられた言葉の、違った視点での意味は
“理解してほしい叫び” です。
そう感じるようになってから、毎日、数十件の電話も嫌ではなくなりました。
むしろ、さまざまな価値観をあからさまに出してくる数々の怒りは、
僕にとっての勉強の場になりました。
怒りという感情を見せてくれる人たちに感謝することすらありました。
感情というものが人に大きく影響し、そこを癒すということの大切さを
全国からのクレームで学ぶことが出来ました。
それで素敵な施設で働けて、お金までもらえてなんて幸せなんだ…
と思っていたのでした。
視聴者との対応で、心身ともに壊れないように自分を守ろうと、視聴者を敵のように思い、
理論武装し、ダイヤモンドのような硬く硬くなっていく人もいれば、
視聴者の怒りを何かのヒントだと思って、できるだけ心を柔らかくして、
受け答えする人もいました。
どちらが正しいという問題ではなく、どちらを目指したいかでした。
僕は、後者を目指し、人の怒りが見せてくれるメッセージの大切さに気づくことができました。
ダイヤモンドのように硬くなっていくことは僕には到底真似できないことでしたから。
通常の人生への姿勢でも同じようなことが言えるように思います。
ダイヤモンドのように硬くなって壊れないように努力する人もいれば、
ゴムのようにぐにゃぐにゃに軟らかくなって壊れないように力を抜く人もいる…。
どの生き方にも、真実はあり、そこから学ぶべきものはあります。
“楽になればなるほど、自分の能力を発揮できるということを信頼してみよう” ― 潤治
「『柔ラカイ』トイウ事ハ「ダイヤモンド」ヨリモ壊レナイッ!!」
―トリッシュ・ウナ スタンド名「スパイス・ガール」
※荒木飛呂彦著 「ジョジョの奇妙な冒険 第5部 黄金の風」 より