来週、台湾にひとり旅をする予定です。
以前は、夫婦で海外旅行はよく行きましたが、
「ひとり旅したい。」という思いはここ数年で徐々に増してきました。
僕の「こうしたい」という欲求は、日常、寛子の強い「
僕の依存心がむくむくと湧き起こってきてしまうからです。
僕の「自由意志」は甘やかすとすぐに他人の判断に依存し、衰えていきます。
「それでもイイよ。」という人生に対してお客さま氣取りな僕ですから…。
また、「こうしたい!という明確な欲求」を誤魔化してきた人生だったのか?
例えば、相手がどう思うか?今がタイミングなのか?
心にささやかに浮かんだ意志を思考が保護者のように口を出してき
数年前も台湾に行く予定だったのですが、
寛子の急なインスピレーションの影響でバリ島への旅行に変更にな
「バリがわたしを呼んでいる氣がするんだよね。」
という一声で、台湾ではなく、バリ島に行くことになりました。
「僕は台湾が呼んでいるように思えるんだよね。」
と言い返し、ふたりで別々の場所に行くことも可能なのに、
どうせ行くなら、せっかくだからと自分の「こうしたい」
元々、本当に台湾に行きたかったのかな?と自分を疑います。
そして、意味があるか、得か、得られるモノがあるか、
などを先回りする思考はいつも僕を臆病にさせます。
明確な意味を見いだせないからです。
明確な意味が無ければ行動する価値を見出さない僕はいつ出来上がったのでしょう。
小学生の頃、
放課後、鞄を置いてグランドに集合し、ただただ、
その潤治少年にそのドッヂボールをする意味を尋ねてみたら、
「え?将来、ドッヂボールのプロ選手になるのかって?
「そんなこと知らないけど、ただ楽しいからやっているだけだよ。
大人になると、いつの間にか効率や意味を考えて行動しがちです。
特に「責任」「役割」「義務」
でも、それを「あえて○○する」
「転石苔 (こけ)を生ぜず」
(1)活発な活動を続けている者は,いつまでも古くならないことのたとえ。
(2)一か所に落ちつかない者は大成しないことのたとえ。
僕たちはそのどちらの意味を選択することができるわけです。
どちらがしっくりきますか?
僕は、思考がすでに人生の固定化された傾向にいきがちですw。
人生に意味など探さずに、
自分へのメッセージ、どう感じていますか?
2016年10月1日(土)に開催される
「4つのクレアを伸ばす」
僕たちの「受け取る感覚」を実践していきます。
誰もが何かしらの感覚でメッセージを受け取っていますが、
この機会に磨いてみるのも良いかもしれませんよ。