虐待を受けた犬も、自己虐待する人も、噛み癖がある?

潤治の徒然草虐待

犬猫の殺傷処分や動物虐待について、Facebookのおかげで、多くの人に知られるようになったと感じます。

犬猫を飼う人も、僕が子どもの頃よりの増えたように思います。
鳥を飼っている人が当時よりも格段に減っています。

さて、虐待を受けた犬は、人に怯えたり、過剰に吠えたり、時には噛み付くことがあるようです。
自分を虐げることをやめさせるために、相手を脅かし、噛み付くことを覚えた犬はそのことをなかなかやめられないそうです。

「噛み付くこと」の効果をギリギリの状況で覚え、それに頼るようになってしまったと言えるでしょうか。

噛みつかれることの痛みを知りつつも、自分のことを守るために仕方がなかったと思うとやるせない氣持ちになります。

しかし、何もこれは、犬に限ったことではありません。

人間も同じです。

相手に噛みつくとまでは言わないまでも、感情的に脅迫することはあります。

「やべぇ、オレ、マジキレそう…!」
→言う必要の無い言葉ですが、それなりの効果を狙っています。
誰もあなたのことを責めたり、バカにしていませんよ、安心してくさいと言ってあげたい。

「今度やったら、本当、怒るからね!」
→子どもに言ってしまいそうな言葉です。相手をコントロールしたいのでしょうか。恥ずかしくても、情けなくても、本当の氣持ちを伝える勇氣が欲しいところです。

「触らないで!今のわたし、何するか分からない!」
→制御できない自分をアピールして、他人事です。自分の身体も他人のもののように粗末にすることがあります。自分を人質に脅迫する感じでしょうか。
ここで間合いを空けると恋愛の場合、自然消滅となります。

「普通、こうするものろう?なんでそんなことしちゃうんよ!
→正義感なのか、ルール至上主義なのか、相手の失敗、後ろめたさを責め立てます。
そういうあなたって!と迎撃して泥仕合に持ち込むこともできます。人間関係の修復は難しいかも。でも、パワハラに屈するより良いかも。

「あなたなら、できると思っていたのに、がっかり…。期待して損した!」
→勝手に持ち上げて、こき下ろす。男性を再起不能にする可能性があります。奮起できるほど強い男になりたいものです。夜の生活でこれを言われると夜を怖がる男になります。

「本当にわたしのこと好きなら、こんなことをしても許せる?
許せないくせに好きなんて言わないでよ。」
→さぁどう?と相手に踏み絵を要求し、試練を与える人は時にいます。
恋愛と燃えちゃうけども…。

噛みつくとはいかないまでも、人を試したり、傷つけたり、脅迫することで自分を保とうとする心理はあります。(僕け?)4d55e0852d30ac1f342a6346ba2bf8e2_s

虐待された犬ほど、と考えるなら、
虐待された人ほど、その傾向は強いと言えるかもしれません。

上記のように、感情的に人をコントロールしようとする人は深いところで悲しみを癒すことができていない場合があります。その悲しみを見出してあげて、寄り添おうすることでその悲しみや痛みは溶けていくかもしれません。

悲しみ、または、自己欠乏感でしょうか。
自己存在意義に疑問を持っているとも言えます。

そして、僕たちも親や誰かの価値観の影響によって、自分自身で自分を虐げていくことがあります。

「なんでできないん?」「頑張れ!やればできるろう?」「なんでやっちゃったん?」「普通、こういうものろう?」「こうすべき!」「泣いちゃダメ。」「自分が悪いん。」「反省して、次は絶対うまくやらなくちゃ!」「怠けるな!」「良い子になれ!」「迷惑かけるな!」

…と自分で自分に詰問、忠告、ダメししていたら?

「自己虐待」ですね。

誰かの悲しみや痛み、怒りに触れるとそれはインフルエンザのように感染していくように思います。
どうして、あの人はそういうことをするのろう?と思った瞬間に「感染」は始まります。親の影響は大きいですね。そのまた親の親の親の…とバトンのようですw。

感じる力があるほど、「感じて染まっていく」のかもしれません。
何もウィルスけじゃあないですからぁぁぁ!感染!

敏感で世の中生きづらいと思っているのなら、さまざまな価値観や感情に感染しているかもしれません。

自己虐待は感染力が強く、僕たちが自分らしく、ライフパーパスを生きようとすることから遠ざけるように感じます

寛子のアビュースホールドセッションは、イタリア・フランスの旅から帰ってから募集するようです。

僕は今、2周目の音源を聴いているところです。
寛子が帰ってきたら、またセッションをしてもらおうと思っています。

自己虐待が感染するなら、自己充実感も感染してくれると思っています。
どちらのキャリア(保菌者)になりたいですか?

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