AQUA MIXTの寛子です。
天使と繋がる方法を、生涯の仕事・ライフワークの一つとしてお伝えし続けています。
「天使とつながるために必要なこと~素直さ」の続きになります。
- 無~エゴのない状態
- 素直~素で直に天使と繋がる
- 愛と遊び~楽しむことで愛や天使のサポートを引き寄せる
今回は「無」について、語ってみましょう。
人として生まれてきたからには、エゴはつきものです。
エゴは決して悪者ではなく、もしかしたらあなたを守ろうとする良心の声かもしれません。
この物質界だからこその、学びの一つです。
スピリチュアルな学びの過程にいる人たちが、自分のエゴに苦しめられるという状況をよく見てきました。
「こんなこと、思ってはいけない」
「エゴを無くさなければ・・・」
天使たちは言います。
「聖人になる必要は、ないのですよ!」
無くそうと闘うことほど、無益な苦しいものはありません。
エゴは無くそうとするものではなく、共にいること、というのが、
私の長年の学びで得た扱い方法でしょうか。
自分のエゴの産物である怖れ・不安・怒り・執着・・・
などと共にいることで、それらの感情は自分を振り回さなくなります。
そして、天使やハイヤーセルフからのメッセージを素直に受け取れるようになります。
(あるいは、エゴと区別がつきやすくなります)
「無」とは何も無い状態というよりも、ある境地を指すだけなのではと思いますね。
自分のエゴもひっくりめて丸ごと自分を受け入れた状態が、
「無我の境地」なのかもしれませんね。
そのためには、自分の中にある怖れを認めること、エゴを認める勇気が必要になります。
その時に有効なのが、天使とのつながりから起こる癒しを手法化した、
「エンジェルヒーリング」ではないでしょうか。
エンジェルヒーリングの手法については、
エンジェルワーカー「魂の羅針盤」各コースで実践していきます。
また、ドリーン・バーチューのオンラインコース
「エンジェルヒーリング」の推薦コメントも書かせていただいています。
「無」の状態になるための「クリアリング」について、クリアリングの手法を学んだらそれで終わりではありません。
それは、私たちが毎日入浴・シャンプーするのと同じ感覚です。
毎日、あなたのオーラフィールドは傷ついたり、淀んだり、自分のエゴや他者のエゴ、電磁波・環境汚染などに影響を受けます。
ですから、オーラやチャクラを良い状態でバランスを保つために、日々クリアリングをする必要があるのですね。
私や潤治はかつて、憑依体質でとても苦労しました。
世の中には「除霊」という手法が一般的に知られていますが、一度除霊をすればそれで終わりではありません。
憑依されやすい心や健康状態というものがあります。
それを改善しない限り、除霊してもまた憑依され・・・
繰り返しになります。
憑依や、負のエネルギーの影響を受けにくい状態を維持すること。
それは、毎日の洗顔やシャンプーと同じレベルなのです。
日本古来からの塩の浄化をしたり、瞑想をしたり、大天使ミカエルによるエンジェルヒーリングをしたり、手法はさまざまです。
そしてそれは、これをやったら終わり、ということはないのです。
日々のクリアリング、習慣にすることで、徐々に波動が上がっていき、
自分が引き寄せるものの質も変わります。
天使とのつながりも、より強くなっていき、確信が高まります。
日常レベルで、スピリチュアルヒーリングやクリアリングを実践出来るようにしていくのが、
私たち夫婦の長年の経験を結晶化した「魂の羅針盤」シリーズです。
ところで、「無」=エゴの無い状態で天使や高次元とつながることは、天界にいるときは当たり前の状態です。
私たちは、この地球に生まれて「エゴ」がある状態を体験します。
その理由は、天界では出来ない「魂の成長」をするためです。
人によっては、この世は「修行」「苦行」と捉えているかもしれません。
しかし、こう考えてみてはどうでしょうか?
スポーツの世界と言えば、ルールや制約がたくさんあります。
サッカーならば、手を使ったら反則。
テニスならば、ラケットを使わなければならない。
バレーボールならば・・・?バスケットならば・・・?
日常生活と照らし合わせると、とても不自由な縛りがたくさんありますよね。
しかし、この不自由な世界に打ち込む人はたくさんいます。
私も、小学生の時から高校までテニスをしていました。
(しかしあまのじゃくなので、みんながサークルでテニスを始める大学時代はすっかりやらなくなってしまう)
社会人になると、基礎スキーのクラブに打ち込む。
時々、自転車の耐久レースに出る。
あらま。
私って意外と体育会系。
しかも所属しているアラフォーアイドルユニットも、ノリは体育会系です。
未経験だった歌やダンス、ユニットのフォーメーションなど日々練習し、ステージに立つ。
私にとっては、学生時代の部活のようでした。
いや、ある意味部活より厳しかった・・・
どうしてこんなに打ち込んでいたかというと、やはり
- いくつになっても自分の成長を実感できる
- 極限の状態を共にして、仲間が出来る
- 応援してくれる人がいる
共通するのはこの点でしょうか。
そして、これはスポーツの世界だけではなく・・・この地球上に生まれた誰もが、天界では当たり前だったことが出来ない制限された環境にいる、ということに意味があるのです。
天界では、全ての存在(魂)が一つであり境界線はありませんでした。
ワンネスが当たり前。
ですから、意思疎通に言葉も要らないし、そこには愛しか存在しません。
それが人間界に生まれてくると・・・
- 個別の「肉体」という乗り物にのっているので、他者とのつながりを感じにくい
- 言葉を使わないと意思疎通出来ないことが多い。しかも、いろんな言語が存在
- 愛に対してエゴ(怖れ)も必ず存在する
- 寿命がある
などなど、様々なルール(制約)が設けられます。
スポーツに例えるなら、この世に生まれてくると試合開始なのです。
サッカーならば、試合が開始したら手を使えない。
同じく、私たちも天界で当たり前だったことが出来なくなるのです。
限られた時間の中で、得点を上げる。
それは、寿命の中で魂を成長させ波動を上げていくこと、徳を積むこととなります。
ですから、このルールに学びのエッセンスは凝縮されているのですね。
今回のテーマ「無」の話に戻りますが、エゴを無くすことが「無」ではないということがおわかりでしょうか。
「エゴ」があってこその学びがあるわけですから、それを無くすことは不可能であり、出来ないことをしようとして辛いことになるのです。
エゴを受け入れて、怖れと愛のバランスをとり続けること、ありのままの状態を受け入れること・・・
「受け入れる」ということが、「無~エゴの無い状態」に重要だと常日頃感じています。