パパ翻弄 感情戦線異状なし?

ハッピーライフ

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
大きなケヤキの木の下で。
AQUA MIXT 潤治です。
2007年に東京都多摩市に引っ越してきて早6年が経ちました。
自然が多いところ、子育てしやすいように寛子の実家の近くということで僕の実家を出ました。
子育てしやすいように…という言葉が風化しつつある時、
今回、ご縁に恵まれ、愛娘このは(小葉)がやって来ました。
不思議な流れで僕の実母も近所に住むことになり、
子育てをするにはとても良い環境が揃ってくれていました。
このはもいろいろな人たちのサポートを受け容れているようです。
ぬくもりのある温かい環境の中ですくすくと育ってくれればいいなと思っています。
生まれた時に泣かなかったこのはも母親と一体ではないことを感じ始め、そのうえ、肉体というものを持ち、自分の思い通りに動かせない歯がゆさからか、ツボに入ると大泣きします。
その泣き声はまるで悲しさと悔しさ、怒りが篭もっているように感じることがあります。
さすがに僕の胸に抱かれながらその声で泣き続けられると、
始めのうちはぐったりでした…、それは精神的にも、肉体的にも。


感情をむき出しにした声は、ボディーブローのように心に響きます。
このはが生まれる前…、
電車の車内で赤ちゃんが激しく泣いていると、
周りの人たちの雰囲気がざわつくことを体験したことがあります。
ママさんは申し訳なさそうに赤ちゃんをあやしている光景を見て、
「赤ちゃんが公の場で泣くことは周りに迷惑なことなのかしら。」
と思ったものでした。
周りの人たちの反応を見ていると、あきらかに嫌な顔をする人もいました。
その中でご年配のご婦人などは、にこやかに笑いかけたり、
若いママさんと一緒にあやすのを手伝っていたりしました。
嫌な顔をするのはたいていが男性か若い女性でした(と僕の見た感じで)。
うるさいな…的な。
赤ちゃんが泣き叫ぶことは迷惑なことなのかも?
という価値観が僕の中で萌芽しつつありました。
このはが泣き出すと、始めの頃は、
泣きやんで欲しいという思いで抱いていました。
「ご近所に聞こえたらどうするの?迷惑でしょ?」
ひとりでテンパリ、焦り、不安になり、抱っこがぎこちなくなる…という悪循環でした。
しかし、その思いが強ければ強いほど、このはが泣きやむことはありませんでした。
泣きやまないこのはを見て、思い通りにいかない焦りが精神的にダメージと感じていました。
そして泣き続けるこのはを見て、なぜ精神的に疲れてしまうか…
もうひとつ理由がありました。
それは、感情的になるこのはを見て、
自分の感情が刺激されていることに気づきました。
僕だって泣きたいのに。
僕は感情的にならないように我慢してきた。
君だけ感情的になるなんてずるいよ。
好き勝手に泣きたい時に泣くなんて!
君も我慢するべきじゃないのか?

とこのはに対して無理難題をふっかけていたのです。
※過去にもそんな体験記事が…
「容赦なく甘える君に…嫉妬満開。」

僕の癒されていない感情が、
このはの自由に泣き叫ぶ姿によって呼び起こされて、
その抑えていた自分の感情を目の当たりにして戸惑い、
再び抑えようとして必死になり、疲れ果てる…というわけです。
破裂した水道管を手で抑えつけようとするようなものでした。
助産師さんや義母、実母から、
「赤ちゃんは泣くのが仕事なのよ。」と教えていただき、
泣くのが仕事なんてずるいと思いながら、
ああ、僕はその仕事を満喫できなかったのだろうか?と
過去を振り返ったりしました。
それから…、
おむつでもない、おっぱいが欲しいわけでもない…
愚図って泣き出すこのはを抱き上げてあやす時、
彼女と一緒に泣くことにしました。(→バカでしょ?)
泣きたい気持ちや不安な気持ち…、
過去に置き去りにしてきたたくさんの我慢を、
あらためて感じ直し、一緒に泣くのでした。(→バカでしょ?)
そうしてしばらくすると、不思議に泣いている彼女を見ても、
心がざわつくことがほとんど失くなりました。
電車で泣いている赤ちゃんを見ても、
心がざわつくこともなく…、むしろ、
「泣いてくれているんだねぇ、ありがとう。」
愛おしくなり、ママさんに声をかける事態もそう遠くない未来に
実行される日がくるでしょう。(→アホですか?)
赤ちゃんたちが実は、地球にやって来て最初の任務が、
「みんな、感情的に癒され、解放するんだぁ~!」と
声高に叫ぶことだったり?と思うとクスクス笑ってしまうのでした。
(→言葉になっていないだけで…。)
我が胸に抱かれし、愛娘よ。
おぬしのシャウト、しかと受けとめるぞ。
地球での初任務を遂行するがいい。

ロックだね。(→勝手に…。)

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