スピリチュアルなことを扱い、今では多くの方にスピリチュアルカウンセラーと呼ばれることになりました。
その道のりには、誤解や内なる罪悪感、抜け駆けしているような後ろめたさ、
応援を受け取る勇気や自己受容との葛藤、感謝という視点の広がり、
などさまざまな学びの機会があります。
今もその学びの機会は形を変え、僕のもとにやってきます。
同じことの繰り返しのように思えるそのような現象も、
僕自身の許容の器を広げるために現れてくれるのだろうと思います。
スピリチュアルなことを扱うようになる前、
僕は個人で心理カウンセリングや整体(マッサージ)施術などを請け負っていました。
個人として請け負う僕を認めてくれる人たちは少しずつですが、増えていきました。
寛子も僕のマッサージを高く評価してくれました。
お義母さん、義弟さんも「専業にすればいいのに…。」
と大々的に営業をしない僕に疑問を持つくらいでした。
こうして、あきらかに周りからの後押しが目立ってくるようになりました。
寛子からの紹介で、施術の環境も整っていない我が家にお越しいただく人も着実に増えていきました。
この状況をあなたはどう思いますか?
「良い流れじゃないか?」
「確実に形になってきましたね。」
「専業にして、勝負に出たらどう?」
などと思うでしょうか。
(軽はずみに…w。)
残念ながら、この時の僕は腰が重く、引きこもりたい氣持ちでいっぱいでした。
寛子の紹介で興味を持ってくれる人がいると、
わざと日程調整が合わないようにして、
施術の機会を作らないようにするのでした。
興味を持ってくれる人たちのざわつきが静まることを祈る始末でした。
(バカでしょ?)
寛子もこんな僕を不思議に思っていたようです。
「え、どっちが潤ちゃんの本業なの?」
「マッサージをしたいのではないの?」
当然、発生するだろう彼女の問いに僕は…
自分の中にある不安や恐れを上手に伝えることができませんでした。
癒しのポータルサイト COCORiLAでの連載記事
「インディゴチルドレンの伴走者(2) 高い理想と…」
とても生き生きとしていたパートナーの潤治でしたが、前回も書いた通りですが、結婚から1年経つうちにカウンセラーの仕事も整体師の仕事も辞め、一見全く関係ない仕事をするようになりました。
一時的に、注目された僕のマッサージ施術騒動?もようやく鎮火し、
当時、アルバイトしていたコールセンターでの日常が戻り、ほっと胸を撫で下ろしていました。
次にこういった騒動が発生するのは、
ドリーン・バーチュー博士の「Angel Therapy Practitioner (ATP) Certification Course」から戻ってきた時でした。
この時は、すでにある覚悟をしていたので、人生の流れに身を任すことができました。
アメリカまで行き、通訳なしの5日間の講座を僕が受けることを寛子は予想もしていなかったようです。
さて、僕の「マッサージ施術騒動」は、僕にあることを気付かさせてくれました。
それは、僕自身がさまざまな人から批評・判断されるということへの怖れです。
僕自身の市場価値を知る恐怖心です。
この時は、僕の中に明確な自己信頼がなく、
(離婚、転職、リストラなど目白押しの時期で、
「人生最安値期」と潤治は当時を呼んでいる。)
人からの評価に右往左往し続けました。
ありがたいことに、良い評価ばかりいただき、自信につながるものが大多数だったのに、いつか訪れるであろう、ほんの一握りの批判的な評価を僕は怖れていたのです。
いつか僕は否定される
調子に乗っていると痛い目にあう
実は嘘をついて高評価を言ってくれているにすぎない
社交辞令でしょ?真に受けるほうがバカだ
怖れは僕の全身を蝕み、しばらく評価されることから遠ざかりました。
今考えると、「人生の遅延策」と思いますが、
当時のもう少し本格的に用意が出来たら…という正当な理由に落ち着いていました。
人生が動き出しちゃうからね。
嗚呼、怖い怖い。
「人生は永遠の準備中に寛容だもの -みずを」
まるで、誰にも知られない絵画を部屋に飾り、
自分では良い出来だと密かに思い続けるかのようでした。
そして、僕が死んだ後、名画として世に出ないかなぁ…などと夢見るような感じでした。
評価されることの怖れと自己受容、自己肯定感は切っても切れない関係です。
自分自身が評価、批判、誤解、中傷されることを受動的に捉えていたり、
被害者意識があると人生は混乱するだろうと感じています。
起業はたくさんの課題を見せてくれます。
あなたの起業は何をあなたに見せてくれますか?
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