手は口ほどにモノを言う スピリチュアルマッサージ初級講座

潤治の徒然草

AQUA MIXT 潤治です。

20代の頃、スーパーマーケットの青果部で働いていたので、

野菜と果物の善し悪しはありがたいことに見分けるようになりました。

サラリーマンという感覚ではなく、一国一城の主、もしくは商人としての感覚が染みつきました。

早朝から市場に出向かされ(被害者意識による文言)、たらふく仕入れ、
その荷物がお店に運ばれるよりも先に店に入り(朝6時頃)、当日の段取りをつけるわけです。

12月の冬至からはノンストップの連日出勤で、今でもこの時期はそわそわします。

今でも柚子や真空パック包装の富有柿を見ると、
身体のどこかでフラッシュが瞬きます。(???)

過去の呪縛は肉体レベルで覚えているものです…。

身体が覚えているというわけですね。
(何か大人の話になりました…w。)

昨日、スピリチュアルマッサージ初級講座を開催しました。

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「手は口ほどにモノを言う」と僕は感じています。

それはマッサージに限ったことではなく、

日常のあらゆるところに発現してしまうものです。

手が残した空間や物質の状態、しぐさ、触れ合い、などに

その人の思考や感情、過去、未来が見え隠れすると思っています。
(オーバーですね、僕。)

講座では、手の表情の大切さをお伝えしました。

触れるタイミングやスピード、リズム、力加減…、
それらは施術者がどういう姿勢であるかを瞬時に相手の身体に感じさせます。

思考を通さずに身体同士がコミュニケーションする

という状態でしょうか。

僕たちの思考とは別の場所で勝手に(?)身体は対話しているのです。

ややもすると、僕たちは情報に施術してもらったり、

情報を食べたり、情報を判断基準にしたり、

する可能性があります。

「○○の手技資格を持った先生なんだって!」
「○○の黒豚のチャーシューに北海道小麦を100%使った麺で…」
「え、でもこの間見た雑誌に牛乳の有効性が載ってたよ。」
「雑誌に取材されていたし、本も出しているカリスマ起業家なんだ。」

Access Consciousness(R)

の世界で言う処の「身体に聴く」というものも、

氾濫している情報から、本来ある自分の感覚を呼び覚ますためのものだろうと思います。

講座では「筋肉」についてもちょっどだけお話ししました。

筋肉の美しさにとその宿している記憶には畏怖すら感じます。

思考習慣や過去の記憶が筋肉を介して

その人の姿勢を創り上げているというとオーバーでしょうか。

「身体から、わたしの情報、漏洩中(詠み人知らず)」

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緊張を自分に強いる人(逆境やスリルが実は好き)は、
肩で息をするので怒り肩になりやすいです。

肩甲骨周りは張り、猫背になり、余計に呼吸がしづらくなります。

姿勢とは、その人の思考習慣、過去の記憶のたまもの(?)なのです。

なぜ、その思考習慣が創り上げられたのか?

過去の記憶はどこからやって来るのか?

過去生での傷は?

それらをリーディングしながら、マッサージするとしたら、

身体はどのような状態になるでしょうか。

そのあたりは、中級講座以降でお伝えする予定です。

3時間の初級講座、あっという間でした…。

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