良いジャッジメントをもらうため、僕たちは躍らされてきたのか

「そのジャッジメントを得るために努力し、それを獲得し、それに守られ、得をしているとしたら、そのジャッジメントは本当にその人の人生の可能性を狭めていることになるのだろうか?(潤治談)」

アクセスコンシャスネス(TM)の世界では、ジャッジメントをすることでその人の可能性は狭まり、自己批判や自己虐待にもつながるとし、講座でファシリテーターを僕がする際にもそう話しています。

「ジャッジメントから解放されるか、または良いジャッジメントを手に入れるために努力するか、その人の人生の選択はその人次第かもしれません。(潤治談)」

先日、娘が2泊3日のスキーキャンプ中に、普段は開催されることのないママ・パパ友との忘年会がありました。

普段は「パパ」「ママ」の顔をする子どもたちの保護者が、その役割を脱いではしゃぐ会になりました。
子どもたちがいないことに加えて、お酒の力はすごいなといつもながら思います。
総勢30人ほどの男女が、昔の合コンのようなノリで酒池肉林の場を楽しむわけです。

そして、スキーキャンプに泊まりがけで行くような幼児園ですから、その保護者もマイノリティな人たちが多く、元(現役)スポーツ選手、芸能人、国家公務員、一流企業に勤める人など、あまり僕の育ってきた環境で出逢わない人が少なくありません。

社会的なヒエラルキーの最下層の出自の僕としては、ありがたい機会をもらっています。
普段のスピリチュアルカウンセリングのセッションでも、一流企業の役員の方、芸能人、アスリートなどの方とご縁をいただくことがありますが、それはAQUAMIXTという看板と実績がそうさせるわけです。

持たざる者である僕が、こうした奇跡的な機会をいつもいただけるのは、出逢って下さった皆さんの「思いの蓄積」のおかげであることをそのたびごとに感じています。

さて、残念ながら、しらふの僕は、その飲み会の光景からいろいろな感情や思惑を受け取ります。

モデルのような容姿のパパや一流商社に勤めるパパを囲んではしゃぐママたちの盛り上がりはかつてのバブル期を彷彿させるものがあり、その輪の中でニヤけるパパの氣持ちは痛いほど伝わってきました。(残念ながら…)

もてはやされるパパたちが獲得してきたジャッジメントを思い、しばし物思いに耽る僕でした。あまりに耽り、もう少しで没我の境に入るところでした。(飲み会の場での現実逃避と言われてしまうと元も子もないわけですが。)

学生の頃、有名大学のコンパに誘われて、かなりのアウェー感を味わって以来の感触でした。

本当、古い話ですが、「三高(高学歴・高身長・高収入)」を手に入れることはバブル期の「一流」の証であり、ヒエラルキーのトップであり、雑誌はそれをあおり、トレンディドラマはその背景を匂わし、その一神教に人々を誘導しました(おおげさ?)。

その一流の人たちとこうして同じ飲み会の場にいられるのですから、人生は摩訶不思議です。

そして、冒頭の言葉を思うのです。

いかに良いジャッジメントを得るために、学校教育を受け、統一された基準で判断され、それに抗いながらも調教されてきた自分を顧みます。

「良いジャッジメントが自分を幸せにしてくれるはず。」
「そのために、お金や労力をかけよう!」
「どうか、オレに良いジャッジメントを浴びせてくれ!」
「あいつよりは下だけど、こいつよりはオレのほうが上。」
「この良いジャッジメントを守るためなら何でもするぜ。」
「このジャッジメントを揺るがすようなヤツは排除するか、無視する。」

「良いジャッジメントをもらいたい」という習性を使って、
さまざまなマーケティングは行われるように思います。

 

良いジャッジメントが本当に自分の人生を幸せにしてくれるのか?
心の中で感じている本当の自分は幸せなのか?

良いジャッジメントをもらうために、僕たちは躍らされてきたのか?

尾崎豊ばりに問題提議をしている自分がいました。

そして、問題提議に逃げ、ちやほやされなかった腹癒せと知りながら、天を仰ぎながら帰路につく僕でした(笑)。

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